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今夜の番組チェック
1999年3月11日
上司さま出張。ということで、仕事を肩代わりする。
銀行に行くのが遅れそうになる。銀行から指定された刻限まで、あとわずか。通常なら行けないが、大急ぎで行けばなんとかなる。おそれるな!! 神はかならずいる!!
ということで、気合いを入れる。気力が130に達して二回行動可能になる。間に合った。
しかし後編では気力が70から始まったため、まるで冴えない。困ったものである。しかもトラブル発生。とりあえず、第一係長に事態を報告。善後策は、検討中だ。
「で、どうするの?」
「まずお耳に入れる方が先かと思いました」
「じゃ、こちらは動かないから担当である君が考えて」
換言しよう。自分の頭で考えろ、といわれたのだ。なんたる屈辱。メディアリテラシーどころではない。
もうひとつ。これは完全に私のミスだった。報告する。
「直すしかないね」
それ以上、何もいわなかった。何もいわないことで私が自らを責める、ということまで計算しているな。うぬぬ。なんという厳しさだ。……深読みばかりするから、こうゆうことになる。
私は実に小心な男で、仕事をしっかり仕上げることだけに心を砕いている。それだけにこの傷が自らを蝕んでいくということも分かる。こうゆうときは、行動によって傷口を食い止めるしかない。
ということで、ひたすら仕事を続ける。かなり、進んだ。
日曜日に出勤する必要が出てきたので、次回のドラゴン・オーケストラ編集には行けない。仕方がないので原稿を送付しておく。
一緒に有限会社エルスウェアに「海賊王女の凱旋」パンフレット送付を申し込む。配布開始前に申し込まなかったのは、わざとだ。今申し込めば、どの程度の事務能力があるのか推定することができる。日に2名、1時間程度をパンフレット発送事務に当てるとして、おおよそ100名は処理できるだろう。データ入力、データ読み合わせ、宛名シール貼り、袋詰め。1人に2分かけて、トラブルまで見込むとこのような数字になる。おそらく一日あたりの申込者数は100名の二倍から半分程度に収まるだろうから、十分に処理できる計算だ。……だいたい十日、長くて半月が常識的な線だろうか。
わかつきめぐみ「So What?」読了。やさしい、物語だ。線が柔らかいとか空白の使い方が巧いというのではなく、人をよく観察している。やつあたりのすすめなんて、本当のやさしさをしらない人、なまやさしい連中には口が裂けてもいえないはずだ。90パーセントの笑顔なんてのも、同様。いい物語だった。
新城カズマ「狗狼伝承 転輪少女・サヤカ」読了。「流斬少年・スオウ」は、破壊されることを怖れて自ら大切なものを破壊する物語だった。いわば破壊消火。「転輪少女・サヤカ」は破壊することを怖れてそもそも創造しない物語だ。他の読み方はいくらでもできるし、私の読み方は偏っているのだろうけれど、それでも私はこのように読んだ。すげえ。面白え。
ただしこれをAISが商業PBMにするというのは……どうだろう。PBMは、特に商業PBMは、プレイヤーを選べない。たとえ年齢制限を設けたとしても、質は選べない。下手なマスターが下手なプレイヤーを相手にこれをやったら、デーモンバスター・レイにしかならないぞ。
ともかく。新城カズマがこんな方法で砌を継ぐとは思わなかった。心底驚いた。しかしまあ、剣戟小説にこいつが登場しても、不思議はないわな。
あと三百人会議。大笑い。何がどうおもしろいのか、それは抜群に秘密だ。人数を減らしてくれたら、もっとおもしろかったぞ。
関係ないが新城カズマ=柳川房彦氏のエンガチョ研究には、私の報告も収録されている。読む人が読めば、どれが私の報告かはすぐ分かるだろう。
家に、太門太さんから手紙が届いていた。しかもすごい分量。おそるおそる開封。
ぎゃあ。これはテレスのネタ! 今日、送付したばかりだというのに。こうゆうことをする太門さんのことが、私は大好きだ。でも、来月分に回させてもらう。新聞の記事が多いからね。
そして……冬川準二さんの個人誌!? しかも17号。「はずれ通信ぱんだ・26」まで。えーと。私が冬川さんと連絡を取り合わなくなったのが、ざっと十年近く前。そして個人誌は5号くらいまでしか読んでいないから……あとで、じっくり読ませてもらおう。
また太門さん、私が送りつけたTak's NetworkRPG Research Roomのハードコピーを大変におもしろがっていた。今、膨大な感想文を執筆中とのこと。ホビー・データのサーバがパンクしないといいのだけれど。いや、本当に。山本弘との論戦、住所を知っているということで私が中継したのだが、交わされた手紙の"体積"に恐怖した記憶がある。
1999年3月12日
さそうあきら「神童」を読む。
絶対音感を持つ天才ピアニストの物語だ。優しいが、棘がある。それでいて、なお優しい。ややぶこつな絵柄と、計算の上で残された棘が、物語に深みを与えている。
立て続けにいい物語を読んだ。
仕事。
愉快な仕事だ。看板を持って二時間ほど突っ立っているだけの簡単な仕事。山田正紀は中野ブロードウェイでサンドイッチマンをしながら小説の構想を練ったという。私も「神童」について想いを巡らせることにしようか。
「神童」は天才の物語であると同時に恋愛の物語だ。ということで、以前に出会った女性について考える。
勘違いしないでいただきたいが、なんでも色恋沙汰に結びつけて考えるのは欲求不満か想像力貧困というものだ。私の思いだしたのは音楽大学にいた女性──荒井佳彦さんの妹のことだ。図らずも出会った当日に声楽家の卵だということを見抜いてしまったのだが、まあそれはどうでもいい。
数度、荒井さんとともに遊んだ。だいたい年に一度会うか会わないかだった。あるとき荒井さんの家で遊んでいると、電話がかかってきた。荒井さんはでられる状態でなかったので、私が受話器を取った。
「もしもし?」
「あ、石井くん?」
わずか一言で、私と見抜いた。感動してしまった。特に親しいというわけではなかったのに、自分を覚えていてくれる人がいた。まずそれに感動した。そして……その耳の良さに感動した。それを告げると、さりげなくかわした。別にすごいことではないのだということを、すごくないということで逆説的に自慢することすら避けて、さりげなく話を逸らした。
ワンダーエッグに遊びに行ったとき、心理テストの館に入った。彼女の診断結果は、魔女がもっとも呪いにくい性格、というものだった。確かにこの人を嫌いになるのは、特殊な才能を必要とするだろう。
嫌いになるのが難しいということから、山小屋のおばさんを思い出す。朗らかで、愉しい人だった。ついでに美人だ。物理的には人見知りする私を、あっさりリラックスさせた。パブリックイメージとしての新井素子、あるいは大人になったポリアンナという感じの人だった。
なんでこんな人からあのようなクソガキどもが生まれたのか、私には理解できない。クソガキというのはただの形容ではない。私が雪かきをしているとそばを走りすぎていった。キャラメルの箱を落としていったのでゴミかどうか確認しようとすると、ダメだよ!と叫んで奪い取っていった。箱の中には、犬のフンが詰まっていた。
もうひとつ、旦那が浮気したというのは許し難い。私はこの旦那をどのように罰し、かつおばさんに被害を及ぼさないようにするかということを、一ヶ月以上も悩んだものだ。だって……許せないじゃないか。
時間になった。事務所に戻る。さくさく仕事。
気がつくとかなり遅い。帰ろうとすると、年上の後輩がトラブルを引き起こす。いや、引き起こしたのは別の人で、とばっちりを受ける。事務所には彼と、N先輩、C先輩、そして私だけ。このトラブルについて、私は何の手助けもできない。N先輩、自作のトラブルシューティングを睨みながら格闘。帰るわけには行かず、かといって何をするわけでもなく、おろおろする。解決したのは、終電直前であった。
グループSNE「シティ・コレクション」(上下)読了。ぬるい。山本弘がついていながら、どうしてこんな駄作を……ついてないね。じゃあ、仕方がない。ショートストーリーに連続性がない。思わせぶりで、しかも計算に失敗しているから想像する気にもなれない。例示する作品が限定されており、視点でうならせるところがない。それでも、それなりの資料にはなるのだけれど。
下巻XIII「親和」は「新和」の間違い。こうして誤植を指摘するのは呉智英先生の影響だ。大言は事上げせずというが、大言の玉に瑕を惜しむ。あるいは、つまらぬ言葉は内容にまで立ち入って批評することすら面倒だ。またはこの中間。ときどき、誤字の指摘をすることすら馬鹿馬鹿しい代物があるけれど。
「ヴァルハラ・ライジング」プレイングマニュアル届く。申込みは3月4日だったから、迅速な対応といえる。裏表紙「定価1600円(本体1524円)」。……あのさ。1,600円振り込んだら料金不足だったというのは、やっぱりホビー・データ側の間違いだったわけね。私が聞いたのは、やはり1,600円だったということか。
……と書いたところ、みやかわたけし氏からツッコミが入った(1999/03/13/12:51:52)。勧めたのは「ユニバースエンド」プレイングマニュアルであって「ヴァルハラ・ライジング」ではなく、「ヴァルハラ・ライジング」は1,600円で正しいとのこと。どうやら3月4日の申込みの時点で入れ替わってしまったらしい。失礼いたしました。
だとすると1,600円という価格がどこから出てきたのかだが、昨年11月に問い合わせた際に私が間違えてタイトルを告げたか、対応者が勘違いして答えたか、どちらかだ。この点、今となっては証明のしようがないので、私のミスと考えておく。疑わしきは罰せよ……というのは那由他の名セリフ。もう一度、3,150円振り込んで「ユニバースエンド」プレイングマニュアルを申し込もう。ああ、まぬけなことをしてしまった。私のまぬけぶりを保存するため、日記の修正は一部に留めておく。
1999年3月13日
鈴木みどり編「メディア・リテラシーを学ぶ人のために」読了。
メディア・リッチとメディア・プアに関する考察はおもしろい。メディアを操る側は、現代に於ける権力者なのだ。そしてメディアにアクセスすることができるものもまた、強者の側だ。テレビを見られない者、ラジオを聞けない者、新聞を読めない者……インターネットに接続できない者、そしてこれらの活用法を知らない者、活用を拒否する者は、現代の弱者だ。
自ら望んで、あるいは自らの不注意によって弱者となったものが虐げられたとしても、私はさほど同情しない。しかし経済的事情その他でアクセスできない者は、保護されなければならないだろう。人はみな平等であるというのが、嘘っぱちとはいえ現代の建前なのだから。
PBMに関して友人と話し合ったこと。インターネット(あるいはパソコン通信)を利用できるということは、PBMプレイヤーにとって極めて有利なことだ。情報収集は容易くなり、作戦の連絡も遙かに楽なものになる。電話ならば無駄話で時間が潰れることもある(それはそれで愉しいのだが)。物理メールはタイムラグの関係から数度取り交わすのが限界だ。しかし電子掲示板や電子メール、チャットを活用すれば、これらにアクセスできない/しないものに比べて圧倒的な有利さを持つことが出来る。
逆にいうとこれらにアクセスしているのに単独行動をとることしかできず、またゲーム中で活躍できない者は宝の持ち腐れということになる。「あっちもこっちもたまご大戦」で最終目的「王者の剣」を手に入れるには、数名でパーティを結成すればよかった。単に徒党を組むのではなく、入手後のヴィジョンと利益分配まで検討し、それを勘案しながら役割分担を決定していけば、まず間違いなく勝者となっただろう。
にも関わらず単独行動を取り続け、バタバタと死んでいったのはなぜだろうか。一人勝ちしたかったからだろうか。一人勝ちすることに賭けるということは、一人でボロ負けする可能性が大きいということでもあるというのに。どうして自分に不都合な(極めて大きい)可能性をあっさり無視できるのだろうか。
140ページ「ろう者は「耳が不自由な障害者」ではなく、手話という独自の言語を話す「言語少数集団」であるという主張が生まれている」。「神童」にもこのような主張が成される場面がある。そして聾者にも独自の音楽言語があってもよいのではないかという……いやいや、先走りすぎた。少数言語集団という側面は、確かにもっと大きく取り上げてもいいと思う。手話でしか表現できないものが、確かにあるはずなのだから。それは沖縄方言でしか表現できないもの、英語でしか表現できないもの、漢文でしか表現できないものと同様に、確かに存在するはずだから。ことばは、生きているのだ。
146ページ以降には「サザエさん」を子供はいかに誤読するか、ということが書かれている。回想場面を子供は理解できず、たとえば昼間に昨夜を回想すればその日の夜のことと解釈してしまい、再び現在に戻ればそれは翌日の昼と思ってしまうのだそうだ。国語教科書で最初に回想場面があるのが「ごんぎつね」という指摘も含めて、なかなかおもしろい研究だ。
そして「サザエさん」では時制の問題を解決すべく、さまざまな工夫が成されている。回想開始の効果音、ワイプアウト、回想用BGM、画面の縁取りなどだ。
そういえば以前、廣井ちゃんがこんな冗談をいっていた。文字でこのおもしろさを表現できるか疑問だが、試してみよう。
サザエ「そういえば近頃、お隣さんをみないわね」
フネ「実はこのあいだねえ……」(ドンツクドンツク)
画面ワイプアウト。サイレント。お隣さん、泥棒発見。泥棒、包丁でお隣さんを刺す。娘、それを見て「キャー」という書き文字。(ホワホワホワ)
フネ「……というわけなのよ」
サザエ「そうだったの。全然しらなかったわ」
……やっぱり文字にしても、おもしろくないな。
このところ寒い出来事が立て続けた。相原コージ作詞「みなしごのバラード」のリフレインを思い出す。「心が寒い 体も寒い」
ということで、冷え切った心を温めるためチャットに行く。
押野くんが議論を吹っかけてくる。議題は「山本弘は冗談が判るか否か」。いいテーマを持ってくる男だ。山本弘はかなり独善的な冗談のセンスの持ち主だ、と押野くんは主張。私も同意する。
ラエリアンの会合に冗談で出席しておきながら、本気で腹を立てて書き散らす態度。高橋克彦のことを本気で罵倒する態度。と学会とはおもしろがるため会であって、その結果として批判になることもあるだろう。しかし山本弘は、ラエリアンや高橋克彦を断罪しようとしている。間違いや屈折した心性を指摘するのではなく、存在を否定しようとしている。と学会で唯一、地獄の存在を(根拠なしに)否定する。打たれても大丈夫な場所は広いかもしれないが、それ以外の部分、弱点をつかれると滅法弱い。
「人は神に支配されたがっている」という主張は、まあいい。私も同意する。「神」といわず、もっと広義に、人は自由を欲していないのだ。強い人は、自由を欲する。「〜への自由」を欲する。強さゆえに、やりたいことがあるゆえに。しかし弱い人は「〜からの自由」を欲したとしても、求めるものがない。だから別の束縛を欲する。それは神であるかもしれない。
しかし「性格は完全に後天的なもの」という主張はマズい。性格が環境のみに依存するならば、無制限の洗脳が許容されることになる。倫理観という性格もまた環境に依存し、我々とはまるで違う倫理観を持つ環境を創り出すことが可能になるのだから。
だいたいこの主張は、心理学者によるパーソナリティ研究をまるっきり無視している。山本弘のイデオロギーにすぎない。あまり知られていないことだが、東京大学には附属学校がある。そこには全国から一卵性双生児が集められ、観察されている。一卵性双生児とはほぼ同一の体質を持つふたりであり、この人々を観察することで性格がどの程度まで後天的な環境に依存するのかを研究することができる。国家予算で、このような研究がなされているのだ。山本弘は東京大学の職員だったにも関わらず、このようなことも知らないのだろうか。……まあ、"たかが"講師ならば知らなくても仕方がないか。
このあたりの思考の硬直、思考の図式化は、かなりマズい。なまじ作家としての力量があるから、強引に説得できてしまう。
ということで、山本弘は分からない冗談は決して分からない、というような結論になる。実際には別の話題に流れたのだが、私はこのように解釈した。
作家としてすごいということは事実だが、ここでは書かない。ケンカを売っておいて「悪気はなかったんです、許してください」などとふぬけたことをいうのは、私の美意識が許さない。
「と、喧嘩腰に話を進めてきましたが、石井さんの知識量は正直言って凄いと思います。凄く感心させられます」
ケンカを買っておいて「でも殴り返さないでください」ときたか。
「このメールを見て、がどのように対応するかは石井さん次第です。このメールで、石井さんとの関係(今回が初めて知ったのですが)が、悪くならない事を望みます」
私に対して「坊主憎けりゃ袈裟まで憎いなどという反応をするような方ではないと信じています」といった人がいた。私は確かに、袈裟までは憎まない。でもその坊主が着ていた袈裟は別だし、坊主はあくまでも憎い。山本弘が私を憎んだとしても、それは覚悟の上だ。
図書館から電話。ちょうど行くところだった。桐生操「本当は恐ろしいグリム童話」が届いたとのこと。借出希望者多数につき、早めに返却して欲しいとのこと。ということで、さっそく読む。
3ページ「グリム童話"初版"の残酷で荒々しい表現法」はウソ。メルヒェンの文体で書かれているので、残酷な内容ではあるけれど荒々しい表現は採っていない。
「白雪姫」で、王がロリータ・コンプレックスであるということが奇妙なリアリティを持って語られる。どうしてここまでポルノのように、言い換えれば下品に、書く必要があるのだろうか。事細かに白雪姫のセックスアピールを描写する必要はないはずだ。
16ページ「かつて近親相姦は、現代人が考えるほど特殊なものではなかった」というのはウソ。近親相姦は常にタブーだ。ただし近親の定義は時代と場所によって変化するし、神聖な存在(王など)にとってはタブーを破ることも高貴なる義務のひとつだ。そのあたりを理解していない。
18ページの白雪姫の発言が綾波レイ(初代)のようだというのはさておく。同ページ「クジラの骨でふくらませたスカート」とあるが、これは髭のことだろう。44ページで魔女狩りの時代つまり12世紀末以降だと明記されているが、クジラの髭をコルセットに使用するようになるのは18世紀以降のこと。これは藤子F不二雄「タイムパトロールぼん」にも書いてある(手元にないので、百科事典で確認した)。
妃が白雪姫の肝を喰らう場面に関する考察は、ぬるいけれど、まあいい。ただし25ページ「当時、人肉供食は決して珍しいことではなかった」珍しいってばよ。だいたい「当時」って、いつだ。13世紀か、18世紀か。
41ページ、王子が死体愛好症だというのはあろひろし「優&魅衣」にもあるアイデアだ。しかしこの解釈、いかがなものだろうか。ツッコミとしてはおもしろいかもしれないが、大真面目に検討するようなものではないように思う。バランス感覚が崩れている。だいたい死体愛好症を論じるなら「トンデモ超変態系」くらい読んで欲しいものだ。
「シンデレラ」は、まあいい。桐生操はふたりのペンネームだそうだ。まともな方が書いたのだろう。
「カエルの王子さま」97ページの記述から魔女狩りの時代らしいと推定されるが断定は出来ない。しかし次ページ、お姫様が政治に口出しをするとか、リベラルな考え方の王様というあたり、これは現実ではなくファンタジーと考えるべきだろうと思う。作者が現実に近く描こうとしていようと、これではぶち壊しだ。
そして108ページ。カエルとのベッドシーン。バカか。110ページ、王子がカエルになった理由。バカだ。さらに蛇足まである。
「青髭」まともな方が書いて、もう一人が脚色。そんな感じだ。
「眠り姫」ダメ。163ページ、どうしてこの時代の人間がフロイトの精神分析など行うのか。もうさっぱり分からない。182ページ以降は蛇足。たちの悪い蛇足。これは野村弦「グリム童話 子どもに聞かせてよいか?」で否定されているタイプの改竄だ。
「ネズの木」は、まあこんなもんか。
そして参考文献。ろくなものを読んでいないなら、ちょっとは手を緩めてやるつもりだった。
白水社「初版グリム童話集」これは基本文献だから、載せないわけにはいかない。
金成陽一の著作。うぬぬ。これを読んでいながら、この体たらくか?
野村弦「グリム童話 子どもに聞かせてよいか?」読んでいたら、こんな代物が書けるはずがない。
G・ジェニングズ「エピソード 魔法の歴史」本当に読んだのか?
カーク・ハインツ・マレ「首をはねろ!」……仮に読んでいたとしても、理解はしていない。それだけは断言できる。
「政治的に正しいおとぎ話」は、「政治的に正しい表現」をバカにするための本だ。だから童話を改竄していても、私は笑って許した。しかし桐生による改竄は、あまりにもひどい。こんなまがい物がグリム童話だと思われたらどうするのだ。グリムが下品な人間だと思われたら、どうやって名誉を回復してくれるのだ。いやいや。彼女らはそんなことまで考えてはいないだろう。よかれと思ってやっただけに違いない。まったく困ったお嬢さんたちだ。
柿二郎くんに電話。「メビウス・クライン」の話題で(別の意味において)盛り上がる。
ところで押野くん。明日は編集なのだから、こんなもの読んでないで早く寝なさい(私信)。
1999年3月14日
休日出勤。出掛けに「本当は怖ろしいグリム童話」を返却ポストにたたき込む。ツッコミを書き込んでやるのが親切かとも思ったのだが、だまされるのもひとつの勉強というものだ。問題は、だまされたことに気付かないこと、そのため勉強にならないということなんだが、そんなことは私の知ったことではない。私の前にそんなぬるい奴らがでてきたら、ためらわず撃砕してやろう。
仕事は10時からだが、係長の指示により8時半に到着。雑用をして過ごす。……係長、10時に到着。せめて、9時50分には待機していて欲しかった。
待機中、腹が減る。昼食用に買っておいた握り飯を四つ、つい貪り食ってしまう。いくら握りが美味かった。いくらの寿司を格別美味いと思ったことはないのだが。
で、仕事。これについては、特に書くべきことはない。
20時、終了。押野くんに電話する。今からそちらに向かうが、何かついでに買っていくべきものはあるか、と。押野くん、弁当を8人分と、ベノくんのためのケーキが欲しいという。ベノくんの誕生日と、就職祝いだ。
帰ろうとすると、係長、リテイクを出す。もちろん、係長のミスだ。しばし足止めされる。なんてこった。
ケーキ屋、閉まっている。もう一軒は売り切れ。仕方なく押野くんの家の近所まで行くと、コージーコーナーがあった。ケーキ購入。ついでに弁当購入。荷物は背負う。ということで、右手に対ベノケーキ、左手に欠食会員用弁当を装備し、書籍エンジンを背負ったデラックス石井文弘となる。
……会報は、まだできていなかった。なんてこった。
みんなでケーキを食べる。佐野くん、ケーキをぶつ切りにする。画期的な切り方だ。真似するべきじゃないけれど。ベノくん、ケーキを割り箸で食べる。他のみんなは手づかみで食べる。なんて情けない子だろう。おいおい待てよ、そうゆうことは抑えるのが人間ってもんだぜ。
終電の時間になったので、帰宅。
「俺は、いったい何のために来たんだろう」とつぶやいてみる。他の人からのツッコミを避けるためだ。
疲れ切って家に到着。疲労のあまり手が震える。メールをチェックすると……ポンガヨン氏から6通ものスパムメールが届いていた。なんかこれ、読んだことがあるのばっかりだぞ。
願わくば押野くんたちがこの日記を読んで「もう更新しているよ」と驚愕せんことを。
1999年3月15日
仕事。大忙しだ。どのくらい大忙しかというと、食いしん坊の私が昼食抜きで仕事をするほどだ。なんてこった。
ここ二日ばかり、食べても食べても腹が減る。忙しいというストレスから来る軽度の過食なのかもしれない。分かったからといってどうとなるものでもないのだけれど。こうなったら大食道場「豚の穴」に入門してやろうか。「お前は豚だ! 豚になるんだ!」とでも叫んでくれる人がでるかもしれない。
合間を見て、顧客名簿を眺める。素敵な名前を見つける。「言葉」と書いて「ことは」。どうやら語学関係者らしい。なんだかイメージを喚起させられる名前だ。「海賊王女の凱旋」のセカンドキャラに使おうか。少しばかりテレーゼとかぶりそうだけれど。
名字も、これに見合ったいいものにしなければなるまい。硬質な名前がいいか、軟質なのがいいかでも変わってくる。うーむ、しばらく悩むのを愉しもう。
「カオスエンジェルズ」について、どこが優れているのか考える。
たとえばWizardryやUltimaは、ゲームに不要な部分までシステムに組み込んでいる。もとがテーブルトークだったということもあるのだろうけれど、システムに普遍性というか、世界全体を説明しようとする意志が感じられる。
対して「カオスエンジェルズ」は、このゲームのためのみに特化されたシステムとなっている。↑キーで前進、攻撃、別種の攻撃、すべてを現している。↓キーは後退と逃亡だ。分かり易い。そしてこれで、ゲームには十分だ。このキー操作そのものがストーリーと密接に関わってすらいる。
普遍性を目指すか、特殊でもいいとするか。その判断は難しいけれど、「カオスエンジェルズ」は成功していると思う。
普遍性といえば、ユダヤ人は普遍を目指す存在だと聞いたことがある。金という普遍的な価値を求め、相対性理論を追い、普遍法を夢みた。この意見にどれほど説得力があるのか判断しかねるけれど、そうゆうユダヤ人もいるのだろう。大学生のころ麻疹にかかったようにこのあたりのことを考えていた。ふと、思い出した。
1999年3月16日
野望の王国…………這いうねる日記………………私は最後の者であり……耳を傾ける虚空に語りかけよう……。
井村恭一「ベイズボイル・ブック」を読んだのは、第九回日本ファンタジー文学大賞作品だからだった。荒俣ら選者の眼力は高く評価するものの、内容には感情移入できず、さして感心はしなかった。それは精神的にも肉体的にも私が疲れ果てているためかもしれず、この評価が正当であるという自信にはかけるものの、私の主観においては間違いなくそうであるのだった。
目覚めても疲労はまるで抜けず、電車内では「もたれかかるな」と怒鳴られる始末であった(あの男に呪いあれ!)。道行く同僚には歩きながら眠っているといわれる有様で、それでもなんとか仕事はこなした。
人を地獄に突き落とすための書類を書き上げ、その優秀さを上層部から賞賛されたものの、気分はいささかも晴れなかった。この書類が人を破滅させるという確実な保証はないのだが、しかし驢馬の背に載せる一本の藁という譬えもある以上、精神崩壊に追い込む可能性は極めて高いと判断しなければならない。
昼休みから「ラヴクラフト全集1」を再読しはじめる。部分的に眺めていた「別冊幻想文学 ラヴクラフト・シンドローム」における大瀧啓裕の発言にいささが解せないものを感じたのと、大鐘さんがラヴクラフトを読んだと語っていたからだ。ラヴクラフトをまともに読み返すのは大学生のころ以来で、そのころに比べて読解力も速度も格段に上がっていることを嬉しく思う。
大瀧の発言とは彼のゲームブック「暗黒教団の陰謀」が当初は三部作の構想であったものの──第二部ではオーストリア、第三部では南極大陸が舞台となる予定だったそうだ──一回増刷しただけであまりに売れなかったことと(いや、増刷したというだけで奇跡に近い)……そしてこちらが腹立たしかったのだが、ゲームブックの限界を感じたのでやる気がなくなった、というものだ。限界を感じるべきは彼のゲームセンスの欠如であり、ダゴンの能力値を「体力 千 精神力 万」というやる気のないものにしたということもまた許し難い。彼の翻訳能力にさえ疑いを抱いた私は、別人の訳した一巻から再読することでこれを確認しようと考えたのだ。
終業時間後は仕事を早めに切り上げた。疲労がひどい。飢餓感もある。魂の安らぎを求め、電脳沙漠を流離う。そこで私は驚嘆すべきいくつかのゲームを発見した。ひとつは「ファイナルファンタジーVIII」であり、おそらくそろそろだぶつく時期だろうと思っていたので予想外のことではなかった。次いで発見したのが畏友ピエール榊くんが推薦するバカゲー「ぷろすちゅーでんとGood」だ。買おうとすると「アリスの館4・5・6」があり、同時に購入。エロゲーを買うということはかつての私なら嫌悪すべき行為であったのだが、齢を重ねるにつれて私は愉快なゲームにますます貪欲になってきたらしい。
今でも4年ほど前に「同級生2」をプレイしたことはよく覚えている。中でも水野友美には殺意すら覚えた。これほどの憎悪を引き起こさせたという意味では驚嘆するべきだと感じたものの、これを最高傑作と評する者が多数いる以上はエロゲーの限界はここにあると考え、以後は手をつけずにいた。
大西尹明訳「ラヴクラフト全集1」読了。かつてはこれを三日から一週間かけて読んだものだ。途中までは懐かしく思いながら文章を味わったが、やはり長すぎる。この文章はばっさり切り捨てる必要がある。ただしそれではラヴクラフトらしさは失われるのだけれど、そして宇宙的恐怖のエッセンスもまたなくなるのだけれど。だからラヴクラフトは、マニアからそのおもしろさを伝え聞くに留める作家なのかもしれない。
文体に影響を受けつつ本日の日記を書き進めてきたが、もはや私には「ぷろすちゅーでんとGood」をやりたいという欲望を抑えることができそうにない。それがどのように怖ろしい結果を生もうとも、これがゲーマーの業というものではなかろうか。
1999年3月17日
Tak's NetworkRPG Research Roomを訪問したところ、福原くんが誤解されている。ぎゃあ。福原くんはあんな無礼なメール書かねえ。あの真似できない文体を使いこなせるのは、世界でただひとりだ。
ということで、訂正を依頼(1999/03/16/23:07:17)。昨日の日記に書くべきことだが、陰鬱な文体で書くとみやかわさんがいやな気分になりそうだ。福原くんもいやな気分になる。ということで、あのメールを送った人はとっととみやかわさんに申し出るように。別に匿名にする必然性、ないだろ。シグネチャの付け方が分からないなら、あとで教えるからさ。頼むよ。
「ぷろすちゅーでんとGood」第4話まで進める。バカだ。いいバカだ。前作のバカノリがそのままパワーアップされている。ちょっとずつ進めて行こう。……いかん。もう2時だ。とっとと寝よう。
と、書いてアップロードしたのが3月17日2時ごろ。
この日記は基本的に時系列に沿って書いているのだけれど、みやかわ氏とのやりとりが多少錯綜しているので、この件だけ先に説明しておく。
Tak's NetworkRPG Research Roomの3月16日分日記を見たのが16日23時ごろ。私の16日分日記をアップロードするついでに覗いた。
福原くんの名前が出ているのに驚き、訂正依頼のメールを出したのがその直後。福原くんに報告のメールを出し、ふと思い付いて電話をするが留守だった。それからしばしゲームをして、17日2時に再び日記をアップ。念のため訂正がなされているか確認に行くが、まだであった。
仕事中、やはり気になってTak's NetworkRPG Research Roomを訪問。9時には更新されておらず11時には更新されていた。これにて一件落着だが……みやかわさーん。ちゃんとメールに記名されていたっていうじゃないの。
「そのラインが明確にされてないっていうのはね、たとえば取説読まないゲーマーって、むしろ支配的なわけであって、取説読まない理由は「なんかごちゃごちゃ書いていて面倒くさいから」なわけでしょう」云々と書いているみやかわさん自身が、メールをちゃんと読まないなんて。バカァ。
ということで、無記名でメールを送ったというのは私の誤解であった。失礼した。
……あ、みやかわさん『本当は恐しかったグリム童話』なんて書いている。『本当は恐ろしいグリム童話』なのに。
この件について、福原くんからメールが届いている。
Date: Wed, 17 Mar 1999 04:44:49 +0900
From: "FUKUHARA,T"
To: 石井 文弘
Subject: はっはっはっ…さて
--------
こんにちは。現在滅法眠たい福原です。いつもと同じじゃねぇか、
とお思いかもしれませんが、つい今まで電話でくっちゃべっていた
ものでして。
電話中にとりあえず確認しました。いやはや、私もいつの間にか
偉くなったものですな。…あのみやかわ氏に指名されてしまうとは。
>とりあえず2、3読まさせていただきました
なんてあたりでピンとこられたのであろうか?だとすれば、氏の情報
収集能力は「宇宙刑事エミー」あたりと匹敵するものになるのでは
なかろうか、と勝手に思ってしまうなり。(当たってるんですよ、
そこだけ…)
さしあたって、私は笑っておきますが。はっはっはっ…と。
さて。
相談なのですが、かような事情(単なる長電話なんですけどね。)
にてちょいと迅速さに欠ける対応を取らざるを得なくなった私なの
ですが、どのようにしたら面白いでしょうか?
1.このまま静観する
2.かいつまんだ事情を書いた苦情のメールを送る(別にケンカは
しない)
3.詳細に事情を書いた苦情のメールを送る(別にケンカはしない)
4.友好的に「ドハズレ」メールを送る(別にケンカはしない)
5.非友好的に非難のメールを送る(別にケンカしてもいい)
6.シバきに行く
私としては、今のところ「不快感はあるがさほどでもなく、先方か
らの対処が先に行われるであろう(お主の訂正依頼によるものです
が)」との楽観的観測から、上記 2. の方針で行こうと考えてお
ります。(小心者ゆえ。)
ま、ここまで時間的に差が生じてしまったので、ある程度後手に回
らざるを得ないだろう、という考え方でもあります。
迅速なご報告&ご連絡、ありがとうございます。今回のあのページ
は、一応記念としてコピーを保存させていただこうと思います。
幾ら私が「あちたま」ページ好きとはいえ(もちろん「野望の王国」
とその周辺くらいなんですが)、さすがにあそこまでは出しゃばり
ようがありませんな。氏はおそらく知ってはおりますまい…私が
TRPGすらやったことがないなんて事を。
しかし、「私に間違われた」もう一人の方も…どう反応するんで
しょうね。
今日は吉田君が立川のジャズバーでピアノソロをやっていたのを
聴きに行っていたので、ちょいっと確認が遅れてしまいました。
また出勤したら確認してみるでしょう…うーん。という事でして、
とりあえず今回はこの辺で。ではまた。
…でも戦闘事態になったら勝てるかわからんな…はてさて…
そして本日22時に電話をしたところ、この件については笑っておく、とのことであった。
しかし、うーむ。わずかこれだけの勘違いが、これほどのネタになるとは。
なお、吉田くんとは中学校の同級生だ。頭がいいんだか悪いんだかさっぱり分からない愉快な人物で、プロレスゲームのアイアンクローを「手が震える強力なパンチ」と呼んでいたのが印象深い。最後にあったときは「A列車で行こう」のピアノ奏者をしており、ピアノ上にさりげなくきかんしゃトーマスを置いていた。また会いたいものだ。ということで次のセッションには誘ってくれ(私信)。
あとTak's NetworkRPG Research Roomに「「数えられない夜の物語」終了によせて」が掲載されたのは、ちと気恥ずかしい。押野くんはもっと恥ずかしいだろうけれど。あれは押野くんに小説を書かせるための圧力として、わざとべた褒めしたものだ。もちろん押野くんの才能を私は高く、非常に高く買っているけれど。その一点は、紛れもなく事実だ。口に出すのが恥ずかしいというだけで。
気を取り直し、仕事。
上記の件も含め、「コミュニケーションの問題」としてひと括りにし得るトラブルが続出。「言った」「言わない」ではニュアンスの問題が出てくるというのに、うかつな回答をした私に非があるのだろう。今後は希望を持たせるようなことはしまい。「承知しました」ではなく「承りました」と答えよう。この点、本日の反省事項だ。
また、私はふざけた口をきかれても、滅多に腹を立てることはない。わずか数年だろうと、世代の差はあるのだから。後輩が舐めた口調で話しかけてきても、意味が通ればそれでよいと考える。もっとも私自身が発することばが不快な印象を与えないように、社会人となった際に話し方を鍛え直したのだけれど。
それでも年下の後輩がポケットに手を突っ込み、冗談混じりに書類を要求してきたのを見て、係長は不愉快になったようだ。まあ、徹底的に痛い目に遭えば、もしかしたら改めるかもしれない。ここに勤めているということは、決して頭が悪いわけではないのだから。
しかし古い道徳と新しい道徳、というか風習。私は古い道徳を美しいと思うからなるべくこれに準ずるようにしているけれど、こうゆう考え方をする人……いや、こうゆうことを意識している人ってのは、少数派なのだろうなあ。
3月11日に申し込んだ有限会社エルスウェア「海賊王女の凱旋」パンフレットが届く。予想より早い。事務能力にはかなり期待してよさそうだ。
「ドラゴン・オーケストラ」56号が届く。あ、暗黒流星★ベノム丸改めわたなべ喜一郎くん、来月から復帰か。よかった。就職と誕生日、おめでとう。
1999年3月18日
仕事。
なんだかすんなり進んでいく。もしかすると今抱えているトラブルは、紙切れ一枚を楯に解決するかもしれない。まあそこまで巧くはいかないだろうけれど、道が見えてきた。
予定より早めに帰宅。
途中、タオルで顔を隠しヘルメットをかぶった人々を見掛ける。天皇に戦争責任を認めさせる云々といっていた。……どの天皇だろう。
社内事情のことから、友人と派閥争いという議題を論じたことを思い出す。悪くいえば内ゲバだ。これ、楽なんだよなあ。価値観を共有する者どおしのことだから。その価値観が普遍性を持つ、ということを、その価値観を持たない外部に対して証明しつづけることをしなくてよいから。
これが「派閥制覇」=「会社制覇」=「業界制覇」=「財界制覇」=「日本制覇」=「世界制覇」と繋がるほどのものならば、派閥争いもいいだろう。本業さえしっかりやった上でなら。しかし弱小業界でしかないのならば、多少の不一致には目をつぶって、団結するべきではないだろうか。それが大人の知恵というものだと思うのだが。
「ぷろすちゅーでんとGood」をプレイ。
魔窟堂のじいさんが「高所恐怖症のロボットパイロットはひとりもいない」といっているが、ゲッターロボ(アニメ版)の流竜馬は当初軽度の高所恐怖症だった(特訓によりあっさり克服したけれど)。まあ、どうでもいいことだけれど。
ともあれ膨大なオタク的教養を背景としているので、これが理解できるとできないとではまるで愉しみの度合いが違ってくるだろう。しかもこのスタンス、オタクである自分を戯画化して嗤うという客観性まで要求している。コミケで巨大ロボットに踏み潰されるオタクを見て、私は笑った。笑うしか、ないではないか。
それにしても、やはり「あっちもこっちもたまご大戦」の暁湊マスターを思い浮かべてしまう。掲示板を見る限り、どうやら彼のリアクションに埋め込まれた膨大なメッセージはほとんど解読されないまま面白がられていたようなのだけれど。
ラージオンの必殺技を見て、「マジンガーZ」の誤植を思い出す。「光子力ミサイル」と書くべきところ「光る力ミサイル」と誤記し、ご丁寧にも「ひかるちから」とルビを振ってしまったのだ。この誤植、歴史的事件として語り継ぎたい。
猿藤の勘違いぶりを見て、内田春菊「ストレッサーズ」を連想した。
「おまえってすぐ「ふつうの女もビデオと同じことやってくれる」と思い込むからだよ」
「え……やってくんないの?」
内田春菊のいう「困ったちゃん」は、どこにでもいるのだろう。
まあいい。私はこのゲームのバカぶりを笑うだけだ。ゲームバランスも、かなりいいし。
1999年3月19日
最後の親不知を抜き行く。
抜けた。特に問題なし。今までで一番あっさり抜けた。それでもボウっとしていたのだろう。「ラヴクラフト・シンドローム」を病院に忘れてきてしまった。取りに戻ろうと思ったが、面倒なのでやめた。大した本ではない。
いくつか心に残った部分。
まず、コリン・ウィルソン「精神寄生体」「ロイガーの復活」「賢者の石」を評価する者がかなりいたこと。私は小学生のときに「異次元の色彩」を読んだのを別格とすれば、中学一年で読んだ「賢者の石」にもっとも思い入れがある。これは私が始めて読んだ本格思弁小説で……そして大学生のころまでは、これを解読するために読書を続けていたようなものだ。ホワイトヘッドは「西洋哲学史とはプラトンの注釈史である」と述べた。比べるのも烏滸がましいが、まあそんな感じだ。ちなみに東洋哲学は論語の注釈史だそうだ(東洋文庫目録より)。今の私は、これに近い。
「賢者の石」を知ったのは「頭の体操」だった。精神的タイムトラベルというアイデアの説明として「賢者の石」が挙げられており、星新一に熱狂していた私はぜひともこれを読まなければならないと思った。「頭の体操」のゴーストライターである芦ヶ原伸之先生に化学の基礎を教授していただいたのが高校二年生のとき。休み時間の度に質問に行き、パズルの話などを伺っていた。どうやら件の解説は編集者が書いたらしいのだが、私がどれほど興奮したかお分かりいただけるだろうか。
「ラヴクラフト・シンドローム」でもうひとつ引っかかったのは、荒俣宏は呉智英先生を嫌っているか、理解していないということだ。ラヴクラフトは貴族主義的であり統制が取れたものが好きだというくだりで「呉智英ではないが封建制が好きらしい」と述べている。呉智英先生が主張するのは封建主義であり、封建制とは違う。封建制とは制度化されたものであり、封建主義とは革命思想だからだ。革命思想とは制度とは相容れない。だから孔子は死後、形骸化され毒抜きされて、ようやく権威となることができた。
最後にアイラムだが……これ、「数えられない夜の物語」のイラムだったのね。発音が違うから気がつかなかった。気がついていたらそちらのリプライをねじまげてしまっていたかもしれないから、気がつかなくて幸いだったのだけれど。でもフルカーンの祖父としてイブン・スカカバオを設定している。イブン・スカカバオとはアブドゥル・アルハザードですら賢者としたほどの魔導師で、「ネクロノミコン」にもその名を留めているほどの人物だ。いや、だからどうだというわけではないのだけれど。
仕事。昼過ぎから取りかかる。ちと大掛かりな作業があり、おそらく20時まではかかるだろうと推定する。推定のとおりになった。
残業していると、内示が出て祝宴をしていた第一係長がやってくる。仕事の根本的なあり方についてお説教。同じ内容のことを、以前にも聞いた。ということは、これは酔っぱらっての発言ではないということだ。今回は、素直に従うことにする。人の作業量を減らすことで最終的な自分の作業量を減らす。つまりは、こうゆう忠告であった。説教の中、私が悩んでいた問題についての示唆に富む発言を混ぜていた。頼りになるとは、こうゆうことなのだろう。私も信頼に応えるよう努力せねば。
沢村凛「ヤンのいた島」読了。第十回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞作品。どうしてこれ、大賞でなかったのだろう。実に私好みの作品なのだがなあ。ハナアルキが登場するというただそれだけの理由で読み始めたのだが、そういえばハナアルキとはこのような存在でもあったのだよな、と唸ってしまった。
ハナアルキをご存知ない方もいるだろうから、簡単に説明しておこう。これは「鼻行類」(ハラルト・シュテュンプケ/日高敏隆・羽田節子訳)にその生態が詳細に報告されている……架空の動物だ。生物学者が趣味の粋を結晶させて創作した存在で、その特徴は名の通り鼻で歩くこと。通常の哺乳類には鼻がひとつしかないが、鼻行類には複数の鼻が存在し、筋肉で自在に操ることで移動する。鼻を偽足のようにするもの、鼻水で這うもの、鼻をバネにして跳ねるもの、様々だ。「蓬莱学園の冒険!」にもウツホハナアルキなる動物が登場していたはずだ。
実によくできた冗談だ。しかし可哀想な(頭が)人というのはどこにでもいるらしい。訳者の日高敏隆(今はどこか国立大学の学長をなさっていたはずだ)に対して、このような虚偽の書物をあたかも事実であるかのように流布せしめるのは謀略である云々という非難を浴びせる手紙が大量に届けられたという。日高はこれへの弁明を一冊にまとめているが、それにしても情けない。日高の訳書「文明化した人間の八つの大罪」(コンラート・ローレンツ)には、こんな一節があった。人間に大切なのはユーモアのセンスだ。ヒトラーにユーモアのセンスがあったら、彼は自分のしていることを笑ってしまい何もできなくなったろう、と。興味深い指摘ではないだろうか。
さておき、「鼻行類」において、この独特な類が生息する唯一の島は、原爆実験により標本を含めすべてが失われたと締め括られていた。「鼻行類」とは、だから原爆実験批判の書としても読み解くことができる。「ヤンのいた島」もまた同様だ。
いや、原爆というから問題を狭く捉えてしまう。「文明」と言い換えたらどうだろうか。「ヤンのいた島」は、文化を破壊する文明を批判している。これならば間違いない。いい物語だった。
それにしたってなあ。人類が産み出した最強兵器たる原爆をもってしても、クトゥルフを倒すことはできない。文明の果てにあったものが防御手段ではなく自殺手段であったとは、ケストラーでなくても嘆きたくなる。
インターネットをさすらっていると、気になる掲示板を見掛けた。私が参加すると問題が拡大しそうなので自粛することにする。主催者が語らなかったことが、意図的なのかどうかが分からない。意図的なのだとすれば、私は議論を深化させるつもりで議論を混乱させるだけになる。
それでも影響を受けて、いろいろ考える。
人を裁くということは、神にしかできないことだ。人は間違える。しかし、神はいない。少なくともここにはいない。そして誰かが裁かなければならない。だから神ならざる人が、間違いが存在するのを覚悟の上で、可能な限り間違わないようにして、人を裁く。これが人が人を裁くということではないだろうか。
1999年3月20日
「ラヴクラフト・シンドローム」で興味深かった点を思い出す。
どうしてRPG「クトゥルフの呼び声」に魔導書として「金枝篇」が登場するのか疑問に思っていたのだが、小説「クトゥルフの呼び声」に紹介されているのだそうだ。それではこの措置も仕方がない。何しろ小説「クトゥルフの呼び声」はラヴクラフト作品中で唯一の「クトゥルフ」小説なのだから。他の作品はヨグ・ソトースやニャルラトテップに関する小説だ。
いろいろと整理しようと思い付く。とりあえず、一年近くためてしまった領収書の類をゴミ箱にたたき込む。折を見て家計簿を付けようと思っていたのだが、これだけためてしまっては付ける気力が湧かない。まあ、以前に家計簿を付けた経験からいって、支出の大半が食費と書籍代ということは分かっている。……偏っているなあ。
また「星空までは何マイル?」のツッコミ用に保存していたプリントアウトも、この連休中に処分してしまおう。可能な限りツッコミを入れてから廃棄だ。データそのものは保存してあるので問題ない。著作権が切れる50年後に公開しよう。かつてネットゲームという痛烈に面白い遊びがあったという記録として。あと数年もすれば、「星空までは何マイル?」のデータを掲載しているのは「野望の王国」だけになる可能性さえある。いや、郵便遊技資料編纂室があるか。
有限会社エルスウェア「海賊王女の凱旋」のセカンドキャラクターとして考案中の「相馬言葉」あるいは「天野言葉」について、設定を練る。「相馬言葉」とすれば心地よく酔いどれた詩的な存在を連想させる。相馬とは仲の良い馬という美しい字面とともに神々の飲み物ソーマを思わせるからだ。対して天野言葉」とすればはじめにあり神とともにあったロゴスを思わせる。ゲーテ的な拡大解釈まで含めれば行動をも示すことになるので、峻厳且つ怒濤の女性を想起させる。うーむ、どちらにしたものか。
いずれにせよことばの問題に関わるキャラクターになることは間違いない。柳川房彦氏は架空言語学者でもあるので、彼の担当となるのではないだろうか。私の語学に関する知識は貧弱なもので、せいぜいがソシュールとチョムスキーの入門レベルでしかない。いらぬ恥をかかないため、もう一度勉強しなおさなければならないか。もちろん、恥をかきたくないからやめる、などということは考えられない。こんな絶好の勉強の機会を逃すなど、勿体ないではないか。
とりあえず「海賊王女の凱旋」にも使用されるらしいイスキュア断章からみた、古代クシュカ語の文法に関するメモを通読する。……語学用語が分からねえ。ええい、勉強しなおしだ。
asper(アスペウ)の第二義は脚を持たない神、「這い寄る神」。蛇神のことなのだろうけれど、他に適当な語彙がないので「這いうねる」という意味だと読み替えてしまう。イグじゃなくニャルラトテップだ。さらにmunaug(ムナウグ)が文字、文章、写本なので、これをホームページと意訳する。これを複合して「這いうねるホームページ」にするには……いかん。どう格変化させたらいいのかさっぱり分からない。ああ、なんて情けない子だろう。母さん、これは戦争なんだよ。6月までにどれだけ下準備ができるものやら。
古代クシュカ語を使って、どれだけの謎を提供できるのか考える。「蓬莱学園の冒険!」開始時には、プレイヤーごとに異なった「断篇」が配布されたという。「断篇」は外国語で書かれ、これを組み合わせ解読し、さらにその裏の意味をくみ取ることで地球空洞説が示唆されるようになっていたそうだ。柳川氏は「断篇」解読までにかなりの時間が必要だろうと予想していたものの、ネット88で構築されたプレイヤーネットワークによりわずか1〜2ヶ月で解読するグループが出たという。
対して「夜桜忍法帖」では短冊暗号を解読するために必要な百人一首の蒐集が遅々として進まなかった、という事実がある。実は蒐集しなくてもよい仕掛けが施されていたのだが、それはまた別の話。夜桜のころですらこうなのだから、ますますぬるくなった現在のゲーマーではこれほどハードな情報収集は不可能と見てよいだろう。ということで、「断篇」説は保留する。
しかし答えをプレイヤーにすべて渡してしまい、それをどう扱うか観察して愉しむ、というのはおもしろそうだ。世界の謎に関する古代クシュカ語文書を提示してしまう、というのはどうだろう。おそらく多くの(解読する気のある)プレイヤーは逐語訳するのではないだろうか。しかし格変化後の形だと別の単語と同じ綴りになる単語を用意すると、まるで別の意味に解釈する人が出るだろう。あるいは、意訳すれば一見意味が通るけれど、実はそれではまったくの見当はずれになるとか。古代と現代の価値観の相違まで絡めてやればいいかもしれない。男性格とするべきところを女性格にして、その裏の意味を探らせる。気付いて探らないと違った意味になる。あるいは、全文と見せかけて途中から始まっている。全文でないということは格変化等から推測できる……など。これらはすべて語学の試験でやられたことばかりだ。本当にやってくれたら、快哉を叫ぼう。
もうひとつ気になるのが神話関係で、古代クシュカ語には仏教用語が頻出している。仏教系神話の勉強もしなければならないだろうか。あるいはこれは仏教の用語を借用しただけで、まるで別の宗教なのだろうか。おそらく実在の仏教を元にした変奏曲のようなものだと思うのだが、このあたりも調査しておく必要がある。いくつかの単語を提示するだけで世界観を想像させるというのだから、なんとも見事な手腕だ。
しかしこれ、すべて「柳川房彦」という人物に対する一方的な信頼から出た推測だ。彼以外ならここまで考えない。私の思い入れが激しすぎるのか、柳川房彦がすごいのか。判断しかねる。
図書館に行き、大量の書籍を借り出す。しかし海洋生物学と仏教系神話に関する本は見当たらない。まあ、これはゆっくり探すことにしよう。
「ぷろすちゅーでんとGood」クリア。オプションによれば、まだ見ていないCGがあるらしい。ふーむ。CGをすべて見るために再度のプレイを促すという仕組みであるわけか。わずか一度のプレイで打ち捨てられないようにする、という意味ではいいアイデアなのかもしれない。しかしそのため、わずか72枚しかCGが使用されていないということが分かってしまう。手の内をすべて見せることが必ずしもいいことだとは限らない。この場合は、どうだろうか。総枚数を隠すことだけなら比較的簡単にできるだろうし、コンプリートしたらそれを知らせるという方法で賞賛するということもできるだろう。その方が優れているのではないだろうか。
アニメ「タイムパトロールぼん」を見ながら「星空までは何マイル?」ツッコミ作成。ああ、なんで涙が出てくるんだろう。これはこれで、いいSFなんだよなあ。教養SFといったらいいんだろうか。それでいて心の琴線に触れるものがある。……あ、今気がついた。この声優、達也と南の人だ。
なお、先日の日記に書いたクジラのヒゲの下着は、1667年イギリスで発明されたとされていた。
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