1999年3月21日

 風邪か花粉症か、鼻水が出てたまらない。頭がボウっとする。数日前から喉が痛かったので風邪ではないかと思うのだが、確信はない。しかし今日明日は医者は休みだ。困ったものである。
 「星空までは何マイル?」リアクションツッコミは中断しておいて、本を読んだりビデオを観たりする。合間に「ぷろすちゅーでんとGood」のおまけについてきた「学園KING」をプレイ。うーん、いまいち。主人公が天然ボケの外道という線を狙っているのだろうけれど、ゲームバランスがどうもなあ。内容は蓬莱学園モドキ。いくつかの高校が独立自治する崑崙島で、高校を制覇していくというもの。現在、三校陥落(爆破)。
 加賀野井秀一「20世紀言語学入門」読了。サブタイトルは「現代思想の原点」。アリストテレスの存在に関するカテゴリーが当時のギリシア語文法の分類そのものであることを紹介し、言語と思考がいかに密接なことか解説することからはじめている。架空言語の想像にはどこまで役立つか分からないが、ソシュールが晩年アナグラム研究などというトっぽいことをしていたことを含め、おもしろいことを思い出させてくれた。
 ブルームフィールドについては悪口しか聞いたことがなかったのだが、にも関わらずアメリカ言語学を支配していたのはなぜか疑問に思っていた。それについて加賀野井は「つまるところ、発案者は矛盾をかかえて創造性を発揮するが、エピゴーネンはこれを信奉して枯渇する」(117ページ)と説明している。ブルームフィールドへの悪口は、実は弟子達に向けられたものであるらしい。
 ブルームフィールドは言語を不完全な物理学と見ている。すべての学問は物理学に統合されるという、実に情けないコンプレックスによるものだ。法学もこのコンプレックスには悩まされ、だからヤーコプ・グリムは「厳密でない学問としての法学の価値」という論文を書かなければならなかった。もちろん今ではすべての事象を物理学で説明できるなどという空論は打ち捨てられている。山本弘も、そのことは知っている。
 しかしブルームフィールドは行動主義心理学の信奉者でもあった。彼の言語学は行動主義心理学に酷似しており……そして行動主義心理学とは、性格とは後天的な要素のみで決定されるとする学派なのだ。山本弘は、知ってか知らずか、これとそっくりなことを主張している。片やブルームフィールドを否定し、片やブルームフィールドと同じことをいう。山本弘は「時の果てのフェブラリー」でメタ・チョムスキー言語などという魅力的な概念を示したほどであるから、言語学に関してもそれなりの知識を持っていると考えられる。この矛盾、さっぱり分からない。しかもこの矛盾、創始者が創造性を発揮するための矛盾とは別種のものだ。山本弘は、思想に関してはエピゴーネンに過ぎないということだろうか。……なんでまた、山本弘のこと書いてンだろ。頭が働かないから、思考が慣れた道にはまりこんでしまうようだ。
 「帰ってきたウルトラマン」より「怪獣使いと少年」を観る。陰鬱な気分になる。差別、貧困、公害。暗い七十年代を代表する作品といわれているが、確かにそのとおりだ。ああ、いやな気分だ。
 宇宙人ではないかとされる少年。穴を掘っている。意地悪な学生、宇宙人めと罵る。泥水を浴びせる。犬をけしかける。飯盒をひっくり返す。食パンを買おうとする少年を、店員は関わり合いになりたがらず販売を拒否する。
 少年は地球人だった。北海道の寒村に育った少年の父は東京に出て行方不明。父を捜しに来た少年は宇宙人と出会う。しかし宇宙船は地下に隠したまま失われ、地球の汚染された空気は肉体を蝕む。少年は宇宙船をさがすため穴を掘っていたのだった。
 人々はしかし、宇宙人を宇宙人であるという理由のみにして迫害する。少年を襲う群衆の前に、宇宙人は姿を現す。少年は地球人だ、殺すなら自分を殺せ、と。そして警官は発砲。宇宙人は死ぬ。
 宇宙人が念動力で封じていた怪獣が復活する。怪獣は人々を襲う。少年を迫害し、宇宙人を殺した人々を。ウルトラマンは……戦いを拒否する。
 最終的に怪獣は倒されるのだが、それにしても暗い。
 「ガメラ3」上映中だというのに、「ガメラ2」を観る。さすがはHグチ……もとい。樋口さん。おもしろい。怪獣という非日常的な事件に対して、怖れず知恵を尽くして戦う人間という像が素晴らしい。こうゆう恰好いい自衛隊になら税金を喜んで払ってよいという気分になる。いや、税金を払うのをいやがったことはないのだけれど。どこぞのコスプレ小娘ではないが、血税を払ってよいとすら思える。ただまあ、私だと不合格になるだろうなあ。


1999年3月22日

 頭が重い。風邪だ。一日、寝て過ごすことにする。「星空までは何マイル?」不要データ処理は次に回す。予定が不可抗力により繰り延べられるのはよくあることだ。しかし「海賊王女の凱旋」開始までにはなんとかしたいものだ。
 ガメラ2を観たり寝たりラピュタを観たり寝たりする。近所の外科、すぐに来れば診療するとのこと。感謝してすぐ行く。待合室にしばらくいるが、診療室の鍵が開いていない。かなり待ち、仕方がないので電話。ドアが開いていない、と。「もう来ていたの?」とのこと。なんてこった。
 「希望があれば」とのことで、ゴツい看護婦に注射をしてもらう。「これで家で寝ていれば、もう大丈夫でさあ」とのこと。小男の医者、嬉しそうに薬を取り出す。「こいつは、効くぜえ」だそうだ。近くの薬局で栄養剤その他を買い込み、帰宅。寝る。
 人類の進化と平行植物に関する夢を見ていたような気がするが、よく覚えていない。熱はないようなので、休めば回復するだろう。しかしこの忙しい(他の人が)時期に、困ったものである。
 夕食時、妹が「名探偵コナン」を見ていた。「妃とはQUEENつまり女王で……」「妃とは王のパートナーで女王とは女の王だから別物です」「クラブとは幸運を示し……」「棍棒です」ツッコミを入れまくったら、妹にいやな顔をされた。
 別の番組。レスキューもの。父、消防団員だったころの蘊蓄を垂れる。幼児が行方不明になった場合、遠くに行っているならぱ生きている。近くならば死んでいる。遠くに行っているということは移動しているということであり、移動しているということは生きているということだからだ。近くにいるのならば、呼びかければ出てくる。出てこないということは出てこられない理由があるからで、つまり死んでいる可能性が高い。当時の団長がそのような哲学の持ち主で、行方不明児の探索をした際にこの正しさが裏付けられたという。
 「まず、その井戸を探せ」
 玄関から2メートルの井戸を確認させた。行方不明になったのは10時。現在は14時。井戸の中に入るなら、確実に死んでいる。団員、井戸の中に何か異物があると報告。団長、すぐに取り出すよう命令。「でも、どうやって!?」
 父、「市警にレスキュー隊が来ています。出掛けに確認してきました」即座に出動要請。レスキュー隊、ロープをズボンのように履くと、するすると井戸に入り幼児を取り出す。救急隊員、汗だくになって心臓マッサージ、人工呼吸。
 しばらくして医者が来る。医者「ご臨終です」救急隊員、何のためらいもなく撤収したという。プロだねえ。


1999年3月23日

 風邪で休暇を取り、一日寝て過ごす。寝ている合間にいろいろする。
 「冬川準二個人誌・17 幾多の幻影〜Les mirages〜」読了。ふむ。悪くない。が、悪くないだけだ。私の知っているころに比べて、特段の成長が認められない。それでも、良くないわけじゃないんだよなあ。難しいところだ。
 コスモエンジニアリングより「PSYCHO MASTERS AD2080. Delusion〜迷夢〜」のパンフレットが届く。即座に廃棄処分。だからなんで私にパンフレットを送ってくるのか。一度も参加していないのに。知人がマスターをやった(やらされた)のが関係しているような気がするが、そいつに訊ねてみたところあまり関係ないようだ。ちなみに私がここのゲームをやらないのは、マスターの待遇がひどすぎることを知ってしまったからだ。さすがに改善されただろうけれど、あの時間的報酬的労働条件はひどすぎる。
 病院に行く。昨日は事務員がおらず、診療費の計算が出来なかったのだ。ということで、支払いに。ちなみにこの病院についても、困った噂を聞いた。子供がオウム真理教に入っていたというのだが、まあそんなことはどうでもいい。問題はその噂に無駄な反応をしたということで、医療器具にいちいち「この機材はオウムとは関係ありません」と注意書きを張ったため、却って患者が怯えたという。ブーメランエフェクト(やぶ蛇効果)の最たるものといえよう。
 ついでに有限会社エルスウェア「海賊王女の凱旋」の料金振込。男性一括で24,150円也。この料金の分だけ満足できるかどうかは、これから確認する。もう1キャラクター登録する予定だ。社会人になった今、このくらいの金はなんとか捻出できる。
 だからといって莫大な経済力を背景にパワープレイをしたりはしない。蓄積したノウハウをもとに初心者を蹂躙したりもしない。美意識に反するからだ。10キャラクターも登録して大艦隊を設定し、私と同等の技量以上を持ったプレイヤーを10人も集めれば、展開を左右することは容易いだろう。その上で他のプレイヤーやマスターの反感を買わないようにすることもまた、可能だろう。それでも、やらない。初心者に無力感を味あわせては、何の意味もない。個人の行動が全体の局面をひっくり返すことが、PBMの醍醐味のひとつだからだ。ゲームを通じて形成された自発的ネットワークがストーリーを創り出すべきなのだ。
 ところで「海賊王女の凱旋」パンフレットで気になった点がみっつ。表紙中央女性の胸だが、つかんだらもげそうだ。服がきついということを表現しているのだろうけれど、不自然なへこみかたをしているので巨大などんぐり(笠付き)をくっつけたように見える。右上、椰子の木にへばりついている黒眼鏡の豚はおだてブタだろうか。上、眼鏡にネクタイ、書類袋の男性は事務系海賊だろうか。営業系海賊かもしれないけれど、事務系だとすれば係長か課長補佐あたりのような気がする。眼鏡に手をかけているあたり自負のほどを伺わせている。
 ついでにホビー・データ社「ユニヴァース・エンド」プレイングマニュアル申込み。3,150円也。今度こそ間違わずに送金した……はずだ。二度あることは三度あるというから、ちと心配ではあるけれど。
 またゆうパックの箱を購入。この理由は、師匠にだけは内緒だ。4月30日以降に判明するということも内緒だ。密かなプレッシャーだということも内緒だ。
 「学園KING」終了。1996年作品だそうだが、もっと古い印象を受けた。10年間違えてないか? まあ、それはいい。正攻法で勝負しなければ、ゲームバランスは悪くない。つまり、可能な限り逃走を選択するようにすれば、ということだが。ギャグは上滑りでぬるい。感動も少ない。エンディング長すぎ。それとどうしてドイツ女性というとナチなのか。ヤーかナインか。ナインだかテンだか知らないががフォルコメンハイトか。ペルゾネンフェルバンズアルゲマイネハイトかもしれない。……待て、こいつゲルマンかぶれだけど日本人だぞ。
 続けて「人間狩り」をプレイ。伊藤晃くんにどう愉しんだらいいのか教えて欲しいといわれていたのだ。4人同時プレイができるのだから多人数で愉しめばいいのではないかと思っていたのだが……甘かった。デザインコンセプトがまるで読めない。運のみで決定される要素が大きすぎるので攻略しにくい。バカですらなく、ツッコミの愉しさもない。なんだこりゃ。降参。私にはこれを愉しむ方法を考案することができなかった。即座にアンインストール。
 で、「零式」をプレイ。これは緻密なロボット戦闘シミュレーションといった趣で、なかなかおもしろそうだ。ただし各種制限が厳しい。あと主人公姉妹はわがままなお子様なので、厳しくしつけてやりたい。いや、本当に。他意はなく。保護者を角材で殴っちゃいけませんわ。父親行方不明という境遇には同情するが、だからといって許されることと許されないことがある。
 だいぶ回復した。これなら明日から仕事できそうだ。


1999年3月24日

 1999年1月20日の日記に書いたゲームブック衰退の理由が、やや誤解されて伝わっているらしい。ゲームブックが衰退したのはファンのわがままに作家が愛想をつかしたから、と短絡されてしまったようだ。
 あれは私の感傷であって、実力がまるで伴っていないくせに自我ばかり肥大し、いっぱしの批評家ヅラをしていた過去の自分への憤りだ(今だって伴っているとは……十年後にはのたうち回るんだろうなあ)。
 あのころ、すでにゲームブックのブームは過ぎ去っていた。加熱したブームは二度と戻ることはない。正常な分野として持続し発展することすらなく、ゲームブックは滅んでいった。理由はいくつか考えられる。制作に手間がかかるため利益が少なく、作家にも出版者にもメリットがない。時間がかかるので流行に対応しにくい。アルテア・ゲームブックなど流行に合わせようとしたのだろうけれど、間に合わずに失敗した。テーブルトークやコンピュータRPGが発達し、わざわざ本形式にする理由が減少した。サポートの不足。情熱の枯渇。などである。
 だからゲームブックは、衰退するべくして衰退した。
 しかし一部のファンは諦めなかった。再びゲームブックの黄金期が来ると信じた。いや、かつての黄金期は無数の駄作を生んだが、今度は傑作ばかりの黄金期になる。その思い込んだ。恥ずかしながら、私もそのひとりだった。
 しかも当時、ファンの大半は中学生・高校生だった。十分な批評のことばを持っていなかった。創造的なことば、といい替えてもよい。あるのは破壊的なことば──悪口だった。新作が出るたびに、ここが悪い、ここがダメだ、この点がおかしい云々といいたてた。悪口をいうほど自分の批評力があるのだと思い込んだ。作家の創造性を褒めず、自分が理想とする(ありもしない、恣意的な)作品にどれだけ近いかということで評価した。過去の傑作にどれだけ近いかで評価した。
 それが、残された少数の作家を追いやった。山本弘は怒りのあまりいった。どんな作品が読みたいのか教えろ、作家でないからなどという言い訳はするな、と。この怒りは、まったく正当なものだ。しかし作家がいう通りのものを書いたとしても、些細な違いをもとに悪口をいうことは明白だった。だから先鋭化したファンは、自らの首を絞めたのではないかと思う。
 しかしこれは滅亡を加速した要因であって、滅亡の直接の原因ではない。この点をはっきりさせておきたい。
 もともとイアン・リビングストンとスティーブ・ジャクソン(英)が「火吹き山の魔法使い」を書いたのは、テーブルトーク普及のためだったそうだ。ゲームブックブームがもとでテーブルトークが普及したのだから、当初の予定通りだということになる。
 ただゲームブックにはゲームブック固有のよさがあり、また過渡期のものとはいえ築かれた文化がある。役目を終えたからといって、容易く打ち捨ててよいものではない。違うだろうか?
 それにしても……ゲームブックについて語ると、どうしても過去の恥を暴露していくことになるなあ。自分の過去を把握し、当時の状況を踏まえ、その上でそれらを分析しながら語らないと、どうしても誤解を招く。しかもPBMの状況と二重写しになっているのだからややこしい。このあたり、ことばを鍛え直さないといけない。
 「那由他の果てに」「夜桜忍法帖」のときの知り合い・橘潤さんからメール。思緒雄二で検索したら、ここに来たのだそうだ。自分の名前で検索したらたどり着いたという人もいるし、もうなんでもありだな。5Mは伊達じゃない。
 「夜桜忍法帖」の「R通信」最終号が発行されなかったのは、印刷ミスにより予算がなくなかったからとのこと。……分かる。すごくよく分かる。私も「ジェ」で始まる呪われた名前を口にしたために5,000円ものコピーミスをして冷や汗をかいたことがある。あのときは発行できるかどうか、本気で心配した。今ではこのくらいどうとでもなるし、橘さんの印刷ミスとはケタか違うのだが、それでも心境はよく分かる。……お互い、苦労しましたねえ。ふう。
 「ジェ」で始まる名前とは「地獄に堕ちた者デルヴィシュ」に登場する悪役の名前だ。あまりに邪悪なため名前そのものが魔力を持ち、口にしたものに災いを及ぼすのだという。そのためこの男を話題にするときは、「ジェ」で始まる男といったり、名前を地面に書いたりしなければならない。「熊の木節」みたいなもんだ。

 仕事。
 へろへろでした。でも休めない。休むともっとひどいことになるから。しかも休日出勤決定済み。なんてこった。
 植芝理一「ディスコミュニケーション」13巻を読む。誰に奨められたのか忘れたが、数冊購入して読んだところ、当時発行していた10巻あたりまでまとめて買いに走った記憶がある。しばらく、途方もなく影響を受けた。えーと、「ソフィーの世界」を読んだころだったはずだ。「私はなぜ松笛くんを好きになったんだろう」という問いと「私は誰」という問いを対比して論じた覚えがあるから。シンプルな問いは、魅力に満ちている。ところで……「野に咲く花は、幸せでしょうか?」
 「ディスコミュニケーション」のうち作者がタネあかしをしていないネタすべてにツッコミを入れる、という無謀なことを思い付いたが、あまりに無謀なのでやめた。ちょっとした落書きにまでツッコミを入れていったら、この膨大な情報量だ、きりがない。しかもそれを無視してもおもしろい。たぶんこの過剰さは、プロとしては問題があるのだろう。かつての永野のりこのようだ。それでも、私はこれをおもしろいと思う。もっと描き込んで欲しいと思う。同時に、もっと大量に描いて欲しいとも思う。贅沢なものだ。
 山田鋭夫「レキュラシオン理論 経済学の再生」を読む。
 奉仕の会「いきつけのPLC」でTRPG「パラノイア」世界の経済(のダメさ加減)がベルナール・シャヴァンス「社会主義のレギュラシオン理論」に基づいて紹介されていた。それでレギュラシオン理論に興味を持ったのだが……これは、当たりだ。いきなり経済学の核心を突いている。これだよ、こうゆうのが読みたかったんだ。
 経済学は数式や理論によって覆い隠されているが、その根本にあるのは「資本主義」をどのように捉えるかという……検証不能な「信仰」によって決定されている。──おおよそこのようなことが、第一章冒頭に書かれている。
 「市場は本来的に安定的なものだ」とするが新古典派。だから経済に政治は介入するなという。逆に不安定だとするのがケインズ派。だからケインズ派は政府の介入により安定させようとする。さらに過激に、「資本主義は本来的に矛盾的である」とするのがマルクス派。だからどんな介入も無駄だとする。うーん、すっきりまとまった。あとの小難しい理論は、まあそれはそれでおもしろいんだが、もうどうでもいいや。どうせ風邪引いた頭にゃ入ってこない。
 「零式」7日目まで。6回まで探索した。慣れると、かなり進むなあ。


1999年3月25日

 年度末だというのに体調不良。
 情けないよ、と泣きつくフラウもいやしない。まあ、だからライバル(と一方的に思い込んでいた男)と再会したときに「老けたな」といわれる心配も、役立たずを養子にしなければならないということもないのだけれど。
 それにしても稲妻のように早かった書類作成がこんなに遅くなってしまうとは。HAHAHAタノシイネー。ジョー・ヤブーキ、シゴトシゴトネー。
 上司さま、体調が悪いなら早く帰った方がいいという。忠告に従うことにする。まあ、今日どうしてもやらなければならないことは、すべてすんでいたのだけれど。
 倉橋由美子「大人のための残酷童話」読了。私が「本当は恐ろしいグリム童話」を容赦なく貶したのは、お師さんがこの本と対比してその下品さをいい連ねていたからだ。逆にいえば、この本はお師さんの眼鏡に適ったということになる。……確かにその通りだった。
 作者は童話の本質をよく分かっている。その上で、本質を加速している。素晴らしい。「本当は恐ろしいグリム童話」が(作者の主観としては)童話の本質を浮き彫りにするつもりで作者の愚かさを浮き彫りにしたのだとすれば、こちらは童話の本質と同時に作者の強い意志と作家性を浮き彫りにしている。
 これに互する作品として、私には星新一「未来いそっぷ」くらいしか思い浮かばない。星新一はセックスと暴力を書かないことを自己に課していたが、もしこの制約がなければより優れた創作童話を次々とものにしていただろう。……いや、同じアイデアを使わない、という制約もあったか。


1999年3月26日

 仕事。なんとか、なった。あと一日、耐えればよい。
 懸念事項もおおよそ片が付いた。これでひと安心。いや、ひと踏ん張りか。最初と最後がもっとも失敗しやすいのだから。
 大瀧啓裕訳「ラヴクラフト全集5」読了。やはりこの人の訳は読みやすい。いくつかの稀語を混ぜるが、それでも読みやすい。訳者としては、問題がない。その点は確認できた。
 それにしても「ネクロノミコン」引用部分をほとんど丸暗記していたのには驚いた。「人間こそ最古あるいは最後の地球支配者なりと思うべからず、また生命と物質からなる尋常の生物のみ、此の世に生くるとも思うべからず。〈旧支配者〉かつて存在し、いま存在し、将来も存在すればなり……」
 この擬古文体から、ふと山田正紀「顔のない神々」に引用された架空の聖典を思い出す。千装はる「闇明歌」九十六番には次のように一節があった。「蛆虫は慈悲をほどこしても、蠅になるばかり、殺し、潰し、焼き、そのうえで舞狂うべし。皆の衆、心せよ、蠍は殺すのが慈悲、恙虫は潰すのが慈悲、蛆虫は焼くのが慈悲であるわい」この小説の凄まじさについては、いずれ述べよう。
 ようやく、体調やや回復。これで最後の大仕事にかかれそうだ。
 困ったちゃんから電話があったらしい。「闇明歌」をふと口ずさんでいる自分に気がついた。
 タカミ★ダイさんとのメールで、そういえば「物理メール」という用語を使用しているのは私くらいのものだと気がつく。郵政省メールというと、宅配便バイク便その他を含まなくなる。だから正確を期したのだが、ややスノッブ的なので多様は控えていた。しかしこの用語、もっと広めてもいいだろう。
 しかしタカミさんもiMAC購入か。これでますますかつての知人とのやりとりが容易くなる。逆に電子メールでのやりとりができない人とはいっそう疎遠になりそうな気がしてならない。便利さに慣れすぎるのも善し悪しだ。


1999年3月27日

 仕事。閑古鳥が鳴いているが、しかし仕事。
 なんだか、疲れ切る。ということで他の仕事は疾風怒濤の月曜日からに回し、切り上げる。そして、「ガメラ3」を観る。
 ……すげえ。「ガメラ2」とまるで違っていて、しかも傑作だ。いきなり渋谷を壊滅させ、前作との差異を明確にしている。自衛隊もさほど恰好いいというわけではない(だから怪獣に歩兵が立ち向かうな)。人があっけなく死ぬ。田舎のいやな部分を描く。でもこれは、怪獣映画のひとつの頂点なのだ。
 ネタばらしになるので、ストーリーについては語らない。それでも、ふたつだけ。
 ヒロインの名前「比良坂」は、実に暗示的でよい命名センスだ。そして監督はラリイ・ニーブンを読んでいると推測される。「ガメラ2」のラストは、最後の魔法だったわけだ。
 感動のあまり街を流離い、福原くんと出会い、そのようなことを興奮した口調でべらべらとしゃべる。
 ふと「ディノン」シリーズについて思い出す。門倉直人氏、今は何をなさっているのだろう。気になる。プレイステーションの大作RPGに関わっていると聞いた記憶があるが、作品名は知らない。
 そういえば「ディノン」の隠された謎、冬川準二さんの同人誌に解答が書いてあったな。明かしてもいいものだろうか。
 長山淳哉「しのびよるダイオキシン汚染」筏義人「環境ホルモン」立て続けに読了。ダイオキシンはかなり昔から問題だったはずだが、前著は1994年刊行。このころすでに母乳のダイオキシン汚染が問題になっていたらしい。ということは今ごろになって学校焼却炉の閉鎖を指導している文部省は、対応が遅いということか。
 いやいや。日本の官僚機構は無失点を旨とし、ゆえに前例のない行動を採ることを可能な限り避けるという。それでも新規の行動を採る必要があることを理解している優秀な官僚は存在し、そのような人は自分の責任にせずに済むよう、世論が高まってからそれを追い風に行動するのだそうだ。環境ホルモンがマスコミで問題になったことを受けて、焼却炉全廃を指導したということではないだろうか。
 それはともかく、すでにベンゼン環の構造式を書けなくなっていることに気付いて愕然とした。そういえばヨギ・シャナ・ボハール師から錬金術の基礎を学んだのは、もう十年も昔のことになる。環境ホルモンについて、あと十冊も読めば基本的なことは理解できるだろう。


1999年3月28日

 「零式」一応クリア。しかし優勝ではない。「裏零式」もラスボスに勝てない。どうやら最初からキャラクターを鍛え直した方が早そうだ。なんだか、やる気がでないなあ。
 明日からに備えて、ドリンク剤購入。体力を金で買うようなものだ。本来ならばきちんと食事すれば済むのだが、風邪のときはドリンク剤が効く。それにしてもかつてのドリンク剤ブームは、あれはバブルの影響だったのだろうなあ。
 ピエール榊くんに健康管理ミスは社会人として問題だと笑われる。いや、私のことを笑ったのではなく私を笑うことで他の人を当てこすっているのだが、相変わらず意地悪な男だ。
 ということで、私も別の人物のことを思い出す。遊演体「那由他の果てに」のマスターだった角中氏だ。この人物、ゲーム途中で倒れ、それでもリアクションを〆切までに提出したことを誇っていた。しかし健康管理ミスは健康管理ミスだ。たぶんこの人物のことを、私は生涯忘れないだろう。そして私以外の人は、この人のことをすでに忘れ去っているだろう。マスターがどれほど頑張って、みっともないことまでしたとしても、プレイヤーなんてのはそんなものだ。
 そういえば門倉直人氏も一時期健康を害して療養していたという話だ。そのため名前を聞かなくなって久しい。優れたデザイナーだったのだが。「ローズ・トゥ・ロード」は今でも傑作として通用するだろう。
 しかし「ビヨンド・ローズ・トゥ・ロード」初版は紙質の悪さとファイル綴じ具が棒状であったため、破かずに読むのが難しい代物だった。優れた世界観を提示していたものの、目次がないというのも問題だった。ついでに、当時の流行だったのだろうけれど、ダメージ決定のダイスが3D5などというややこしいものだったのもプレイアビリティを低くしていた。そのため数度しかプレイしていない。優れた世界観を些細なことで破壊している。
 ……というような愚痴を、かつて某青年にした。
 「そんなにひどかった?」と彼は哀しそうに訊ねた。察しの悪い私は、「ええ、ひどかったですとも」と強調してしまった。
 後にその青年が遊演体の新入社員だったらしいと知り、頭を抱えたものである。その青年、現在は門倉氏のところで仕事をしているらしい。なんだかもう、噂ばなしばかりだな。困ったものだ。
 しかも昔ばなしだ。もしも「時の石」があり、また「神話の時間」があるとしたら、私は高校生のときに戻ってしまうのかもしれない。不健全だなあ。もっとも重要なのは「今」でなければならないというのに。
 「ガメラ」を観る。ふむ。「ガメラ3」は「ガメラ2」の続編というよりも、間に「ガメラ2」というエピソードを挟んだ「ガメラ」の続編だったのだなあ。登場人物、古代文明の設定、その他、共通点が多い。ただし特撮の出来などは、当然ながら「ガメラ3」の方が格段に優れている。「ガメラ」では明らかに合成と分かる部分があるが、「ガメラ3」にはほとんどない。
 しかしガメラ三部作の次には、いったい何が来るのだろう。ビヨンド・ガメラがビヨンド・ローズ・トゥ・ロードのように些細な問題で受け入れられないということがあって欲しくない。
 「CUBE」を観る。妹が勧めていたのだ。オタクとしては覚醒していないもののエヴァにあっさりハマるあたり、こいつの感性は信じてよい。そしてテレビ版最終回に怒り、映画版を観たらあっさりエヴァを忘れるだけの健全さを兼ね備えている。
 確かに立方体に閉じこめられた男女が脱出する、というだけの物語であるにも関わらず、90分間飽きさせない。物語の展開はピエール榊のにある通りで、付け加えるべきことはない。佳作という評価も納得。ふたりの感性の確かさを確認できた。まあ、今さら確かめるようなことではないのだけれど。
 「魔法の国が消えていく」を読みたくなり本棚を漁る。しかし「魔法の国がよみがえる」「魔法の国よ永遠なれ」はあるが、「魔法の国が消えていく」はない。勘違いであったか。替わりにゲームブックが三冊ほど見つかる。ゲームブック蔵書リストに追加しておこう。  仕方がないのでビデオを返しに行くついでに古書店に寄る。まあ当然だが、ない。その替わり3冊100円の棚に「RPGなんてこわくない!」を見つける。「摩蛇羅RPG」という貴重なんだか貴重でないんだから分からないものも見つける。即座に保護。またT&Tその他も発見。保護。そのうちRPG所蔵リストも作成した方がいいな。
 ということで「RPGなんてこわくない!」を読む。……読み返しても、いい本だなあ。テーブルトークRPGの面白さをきっちり伝えている。山本弘が似てないという意見は、この際だから無視する。だいたいこのツッコミ、みんないっているのでつまらない。で、山本弘だが、いつマンガ家デビューするのだろうか。愉しみにしているのだけれど。
 それにしても、私が高校生のときに読んだ本は──駄作の記憶が抜け落ちたというのもあるだろうけれど──良書が多い。基本的なものをまず読もうと思ったからだが、いつでも入手できる環境があった。今からテーブルトークを始める高校生は、どんなものを読んでいるのだろうか。私が基本書と呼ぶような作品、たとえば「ゲド戦記」やムアコックの諸作品、早川書店や社会思想社や東京創元社の作品を読んでいるのだろうか。それとも、それらをもとにして日本人が書いた亜流を読んでいるのだろうか。あるいは、読んでいないのだろうか。
 私の読書量が異常であるということは自覚しているけれど、それでもどのような作品をどれだけ読んでいるのか気になる。活字の魔力は、次世代の人々に伝わっているのだろうか。気になって仕方がない。次世代がなければ、RPGは滅ぶしかないのだから。

 最近の若者は門倉直人を知らないようだ。いや、若者とひと括りにしてはいけないのだけれど。でも「鈴木直人のペンネームですか」といわれた日にゃあもう、哀しみのあまり夜の街を流離いたくなってしまうではないか。
 ああ、さらばユルセルームの自由と放埒の日々よ。
 「思緒雄二かい?」
 「いや、俺さ」


1999年3月29日

 夢を見た。かつての仲間の夢だ。
 ということで、日記に書く。すると、これまたかつての友人・よしかたさんから電話がある。この電話自体が夢の中の話で、だから先の夢は夢の中の夢ということになる。
 「君の夢をヒントにテーブルトークのシナリオを作った」
 とのこと。夢によってシンクロした三人の精神が封印された邪神を解放する鍵となる。PCはシンクロを破壊し、邪心復活を阻止するという物語だそうだ。なかなか面白そうだと話す。
 しばらくして、別人から電話。誰だか分からなかったが、立場的に阿曽くんだろう。
 「次のシナリオ、君も参加することになってるから、甲府に来いってよ」
 この時期に無茶をいう。しかし逆らっても無駄なので、電車に乗る。
 場面転換。すでにゲームは始まっている。夢の中なので、我々はキャラクターになっている。プレイヤーはかつて甲府で遊んだ人々だ。懐かしい。私は、このキャラクターを使うのは七、八年ぶりだと感慨深くもらす。よしかたさんは、ならばその間に修行したことにしようといい、レベルを上げるよう指示する。他のプレイヤーは私がいない間もプレイを続け、キャラクターのレベルも上がっているのだ。私は、きりがいいので7レベルから15レベルまで上げたいと申請する。
 よしかたさんがヒットポイント上昇のためにダイスを振ると、目はかなりよかった。ルールを眺めたよしかたさん、15レベルだと強くなりすぎるので、レベル上昇まで一日足りなかったことにしようと提案。14レベルだ。ならばゲーム中にレベルが上がってピンチを切り抜けることになり恰好よい。了承する。
 そしてゲーム。驚くほど面白かったのだが……
 このおもしろさを伝えることばを、私は持っていない。夢特有の混乱と論理の飛躍、記憶の欠落がある。たぶん「RPGなんかこわくない」を読んだから、このような夢を見たのだろう。よしかたさんたちが登場したのは、彼が語っていた「トリガーマン」を購入したからかもしれない。
 あるいはリアクションの寿命について語ったので、「那由多の果てに」のハイドを思い出したからか。よしかたさんの名前は秀樹でかつてのペンネームはHIDE☆K。秀樹→HIDE→ハイド、という点が同じだった。バイク乗りというのも同じだ。クラウン倉田/茗荷屋甚六マスターの卓抜なマスタリングは多くのプレイヤーをネットゲームの虜にした。しかし引退した今、彼について語られることは少なくなった。リアクションを読み返す者も数えるほどだろう。
 裸の大将は切り絵の天才だったという。しかし切り絵はすぐに色褪せる。保存されている彼の切り絵は、しかしかつての輝きをほとんど失っているそうだ。ゆえに彼を指導した芸術家は、「切り絵などという二流の芸術ではなく」永続する絵画等を描かせたと聞いたことがある。
 PBMは極めて資料が散逸しやすい文化だ。リアクションが完成するまでに交わされたプレイヤー間のやりとりが保存されないのは仕方がないにせよ、またマスター間のやりとりが部外秘とされるのは当然であるにせよ、それらの結晶であるリアクションそのものがほとんど残らない。残ったものは読み返されない。PBMをPBMとして愉しみ、かつ残されたリアクションに永続的な価値を認め、愉しみ、しかも可能な限り多数の者に閲覧可能なものにして、かつ人々がそれを望む。単に次回の行動が有利になるということでなしにリアクションを読むことそのものを愉しみとする。そんなことは、可能だろうか。
 私自身のことは参考にならない。私はその点に関しては、例外だからだ。文字情報に関して、インプット・アウトプットともに一般的な読書家を凌駕してしまっている。もちろん専門家には遠く及ばないのだけれど、しかし基準として不適切であることに違いはない。これは自慢ではなく事実であり、しかも我ながら持て余している事実だ。天の我を刑するが故に。だから私は読書をやめられないのだろう。しかも犠牲を払ったとしても読書をやめることはできない。アルジャーノンの心意気だ。
 しかし、うーむ。昔ばなしを始めるときりがなくなるな。恥ずかしい話も多い。特に私以外の人が恥ずかしがる。このくらいで切り上げておこう。

 ということで、本日の話題。
 「あっちもこっちもたまご大戦」ファイナルイベントの振込〆切、本日まで。しかし日名いずるグランドマスター、ゆ〜げんみゆき監督は、未だに最終リアクションの発送を行っていないらしい。ま、私には関係ないことだけどさ。でも最終リアクション(個別リアクション)の裏に、申込方法が書いてある以上、他のプレイヤーから教えてもらわなければ、そのブランチのプレイヤーは申し込めないということだ。
 この失態によってホビー・データは莫大なクレジットを失ったようだが、そんなことは私の知ったことではない。私はただABブランチ暁マスターの参加者が増えるだろうということを、意地悪く喜んでおこう。
 そういえば暁マスターに依頼したファイナル本の原稿、まだ諾否の連絡がないな。どうなっているのだろう。拒否なら拒否とはっきりいっていただきたいものだ。あれは拒否されることを前提に作成した質問なのだから。
 また日名いずるがグランドマスターを勤めるエリクシェル・ヴェーダについて、新パートナーが設定されたという情報があった。バスガイドとシスターだそうだ。
 ……バカ?
 失敬。つい本音が出た。
 ウェディングドレスを着た花嫁ですでに終わっていると思ったが、そう来るか。だとすると次は何だ。看護婦か。婦警か。保母か。OLか。デパガか。チャッピーか。答えろ、ジャイアントロボ! いや、日名いずる!!

 なんだか、私がどうして「あっちもこっちもたまご大戦」を続けていたのか分かってしまった。始めた理由は定かではないけれど。これ、爪研ぎ用の柱として最適だ。

 仕事、データをもらわないと進まない。ということで、早く欲しいと告げる。まだできないとの返答。
 「どうにかなりませんか?」
 「どうにもなりません」
 仕方がないので、やれるところまでやって帰宅。この時期にわずか11時間の労働とは情けない。8時半出勤、20時半退社だ(昼休み1時間)。早く終わらせないと地獄が待っているというのに。失われた時を探し続けて俺はさまよう見知らぬ街を。そっとしておいてくれ、明日につながる今日くらい。しかしわが背に疾り来たる青黒いけものは、ぎちぎちと骨軋ませて偲び哭く。仕事をしたいよう、仕事をしたいよう、と。
 「ゲッターロボ・サーガ」1〜3巻を読む。ムサシの死までだ。この壮絶な自爆、幼心に焼き付いて離れない。やはり私のスーパーロボット観の原点はここにある。
 「ひでえぜ 死ぬんならどうしておれも一緒に誘ってくれねえんだ おれもゲッターと一緒に死にたかった」
 「甘ったれるな 君にはもっと残酷な未来がある」
 隼人と早乙女博士のやりとり、総毛立つ。生きることがときとして死を選ぶより辛いこともあるだろう。しかし現実の世界に生きて、生きて、生き抜くこともまた、ひとつの戦いの道ではないのか。
 だからデザイン的により洗練されたゲッターロボGは……そして號は真は、私の中ではゲッターロボに劣る。これは思い入れの問題であって他の人には納得しがたいかもしれないが、恰好よさとは多分に主観が混じるものではないだろうか。
 高田裕三「トリツキくん」これも、時を超えて結実する愛ってことになるのかなあ?
 わかつきめぐみ「夏藤さんちは今日も天気」ヨツジロさんがイカス。
 魔夜峰央「パタリロ」67巻。テンション変わらず、しかも焼き直しがないのはすごいなあ……と思っていたら。画期的な歯磨き方法を闇に葬ろうとする悪の歯医者集団、というテーマはすでに使っていたぞ。人々に虫歯治療の痛みを与えることで人類に恐怖を振りまく悪魔崇拝者「黒歯科医」と、虫歯治療を通じて人々に安息をもたらす「白歯科医」というエピソードだ。これをパクって人々にデマをもたらす黒ジャーナリストと真実をもたらす白ジャーナリスト、という設定を創ったのだから間違いない。困ったものである。
 ラリー・ニーヴン他「魔法の国がよみがえる」読了。このテーマ、ニーヴン「終末は遠くない」ですでに終わっていて、あとはこの物語に厚みを与えるだけのエピソード群にすぎないように思う。だからこの短篇だけはよく覚えていたが、他の作品は(かすかに記憶の残滓はあるが)覚えていなかった。
 また記憶について、考えさせられる出来事もあった。地上最強の魔法使いウォーロックは魅了の魔法を心得ていながら、被術者の知性を低下させるという理由で使用を控えているという設定があった。しかしウォーロックの妻に横恋慕した男は、魅了の魔法により彼女を惹きつけているのだと思い込んだ。
 私の記憶では、ウォーロックの反論はこのようなものだった。
 「そんな魔法によって人から好かれたとして、それで満足ができるだろうか。しかもその魔法は人々の知性を低下させる。愚鈍な者から好かれたとしても、何の喜びもないではないか」
 実際には、次のとおり。
 「そんな魔法は使ってはおらぬ。副作用を好まぬからだ。愚鈍な仲間に囲まれるのはごめんこうむる」
 どうやら自分の主義にあうよう、記憶を歪めてしまったらしい。
 なお、ピエール榊くんから指摘があったのだが、ガメラの金子監督はニーヴンくらいなら当然読んでいるはずだとのこと。「ガメラ2」では酒を「ゲド戦記」の後ろに隠している、というエピソードがあった。これ、なんで思い出さなかったのだろう。
 忙しいというのに、何故か長くなった。不思議なものである。


1999年3月30日

 昨日、
 「今年度中にこのデータをフロッピーでください」
 「無理です」
 というやりとりをした。二度した。一件は、確かに無理だと分かる。しかしもう一件は可能であるはずだ。データそのものは、手元にある。入力件数も大したことはない。そして1時間ほど、手が空いた。
 そこで、代理で作成。完成。本当は担当者にやらせるべきなのだが、こっちも急いでいるのだ。確認して再度提出せよ、と指示……しようと思ったら、担当者休暇。なんてこった。
 「このくらい、1時間でできましたよ」と意地悪なことをいってやろうと思っていたのに。私の1時間を、返せ。……まあ、書類ができたから、いいか。
 送別会。書店に寄るつもりなので、一人で移動。マンガ購入。電車の中で読む。送別会の内容については、省略する。
 致死性物語というものが存在するということを、久しぶりに思い出した。
 読んだのは赤松健「ラブひな」1巻。どうして読んだのか、それはあとで説明する。
 幼い頃「トーダイ」で再会しようと約束した少年と少女。少女は引っ越していった。少年はその後十五年、ひたすら東大を目指した。しかし頭が悪く運動も出来ず趣味は一人でプリクラというダメ人間であるため、女性にもてたことは一度としてない。偏差値48では二浪も当然であった。主人公は祖母の旅館に厄介になりながら東大を目指そうとするのだが、祖母は世界旅行の最中であり、旅館は女子寮「ひなた荘」となっていた。しかし祖母はなにを思ったのか、主人公に寮のすべての権利を譲る。かくして管理人見習いとなった主人公は寮生とラブコメな日々を送るのであった。
 ……という、要約しているだけでも瞳孔は散大し筋肉は弛緩、血圧低下まで招く代物である。ふだんはこのような作品、無意識のうちに避けているのだが、今回は必要に迫られて読んだため急所に直撃してしまった。
 ちなみにヒロインは牛乳瓶メガネに三つ編み無表情のガリ勉少女、ただしメガネを取ると美少女であり、どうやら「トーダイ」での再会を約束したのはこの娘らしい。主人公は少女の名前を忘れているが、ヒロインは約束を覚えている。他に関西弁で金にがめついフリーター、出身国不明の外国人(色黒)、剣道少女、うぶな中学生、元管理人のお姉さんと、登場女性はバラエティに富んでいる。
 決してヘタなわけではなく、絵柄は洗練されている。また読者の好みをリサーチした上で設定や物語を決定しているらしく、そのあたりも好感が持てる。毎回着替えや入浴を(事故で)覗いてしまう場面があり、サービスも十分だ。しかしそれでも、ラブコメというパラダイムをはみ出すものではない。エヴァのように破綻したままになる物語も困るが、「ラブひな」は決して破綻することなく終了するだろう。結末としては「主人公が東大に受かり、ヒロインと結ばれる」「東大に受からず、ひなた荘に留まり、ヒロインと結ばれる」「東大に受からず、ひなた荘から出て、ヒロインと結ばれる」の三パターンしか予想できない。悪い意味でジェットコースターのような物語だ。安全で、適度なスリルが味わえる。
 島本和彦はプロレス(女子プロレス)について、このように説明していた。どうしてロープに飛ばされたレスラーは、また戻ってくるのか。ロープにつかまって戻ってこなければ、そこで展開は終わってしまう。しかしロープから戻ってくれば、「ロープの反動を利用して技を出す」「相手の技を受け止める」「相手の技からうまく逃れる」「相手の技を逆用して技をかける」など無数の展開が予想される。この一瞬の予想を与えるために、プロレスラーはロープから跳ね返ってくるのだ、と。
 「ラブひな」は人気があるらしいが、しかし物語の毒性が完全に抜け落ちている。さんまを所望した殿様に、城の料理人は油抜きし骨を取り小骨を毛抜きで除き、その上で肝吸いを差し出したという。そんな代物を読んでしまった気分だ。
 掲示板みやかわをめぐる議論にて、以下のようなやりとりを行った。この掲示板、すぐにログが消されるので、ここに引用させていただく。

エターナル・ギルティと……

 投稿者:みやかわ たけし 投稿日:03月30日(火)02時17分43秒

   エリクシエル・ヴェーダって混同されやすいみたいだな。

しまった

 投稿者:石井文弘  投稿日:03月30日(火)08時48分00秒

   また間違えた。
   直さなきゃ。

   http://www.asahi-net.or.jp/~is6f-isi/

 ということで、昨日の日記は訂正した。さすがみやかわさん。即座にツッコミを入れる。昨日の日記をちゃんとアップしたのは、1時ごろだったはずだ。わずか1時間ほどでチェックするとは。
 しかしどうしてホビー・データ社の作品に限って、タイトルを間違えるのだろう。参加していないということの他に、カタカナ表記であるため意味の瞬解性が低いということがあるのかもしれない。この点について悪意はないのだが、「ストリート・ハッスル」を「ハッスル・ストリート」と書いていたり「ユニヴァース・エンド」と「ヴァルハラ・ライジング」を取り違えたり、何とも恥ずかしい。

たとえば「ラブひな」のこと

 投稿者:みやかわ たけし  投稿日:03月30日(火)10時20分21秒

    「ラブひな」とか「守って守護月天」とかって、僕はあんまり
   興味がわかないのね。ギャルゲーの類もそう。でも、人気はある
   わけで、どうしてかなーとか思ったわけ。
    で、自分の中学生時代などふりかえってみるに、
   「ああ、たしかに『みゆき』など熱心に読んでいたな」
    とか思い出したわけですよ。
    自分が「みゆき」を読んでいた理由を思い出してみると、水着
   姿とか、入浴シーンとか、着替えシーンとか、パンチラとか、水
   に濡れた衣服とか、そういうものを楽しみにしていたという記憶
   があるんですな。
    当時は「やるっきゃ騎士」とか「パラダイス学園」のような、
   より積極的にエロい漫画も読めたわけなんですが(読んでました
   けど)、それらは当時の僕にはちょっとドギツすぎて引いてしま
   うところがあったな、と。「みゆき」程度の、ほのかなお色気が
   ちょうど良かったんですなー。
    つまり「ラブひな」とかは、そういうものではないか、と思っ
   たんですが、どうですかね。

 なお、「ラブひな」とはラブリーな日名いずるの略ではないかという説がささやかれたが、そして私もそのような内容を暗示するのではないかと考えたが、どうやら考えすぎだったようだ。
 ちなみに、私が勝手に想像している日名いずるGMは火浦功「ひと夏の経験値」のヒロイン永井のりこだ。私の中で勝手に独自のキャラクターとして成立してしまっている。かつての「ゴーマニズム宣言」における西部邁のようなものか。いいことではないんだがなあ。

ガロと吉田戦車

 投稿者:石井文弘  投稿日:03月30日(火)11時28分29秒

   「ガロ曼陀羅」だと思いましたが、吉田戦車が興味深いことをいっていました。
   ガロは売れないけれど、ガロっぽくしたら「伝染るんです。」は売れた、と。
   毒そのものは売れないけれど、薄めた毒は適度な刺激があって、安全な刺激を
   求める人々に受け入れられる、ということだと思います。「ちびまる子ちゃん」
   もガロ作家と同名のキャラクターが登場していながら毒が薄く、人気が出ました。
   ガロは一時休刊に追い込まれましたが、「伝染るんです。」は文庫化までされて
   います。
   それが悪いということはいえませんし、間違っているなどと考えるのはお門違い
   でしょう。しかし薄めた毒より強い毒そのものを好む私には気分のいいことでは
   ありませんし、自分の好む作品がなくなってしまうのではないかという不安感は
   存在します。ですから半分は八つ当たりです。

   ところで「パラダイス学園」って、「修羅の門」の前に書いていた作品でしたっけ?
   「修羅の門」の人気が出てから、友人がわざわざ発掘してきました。

 ということで、「ラブひな」に対して「より積極的にエロい漫画」すなわち毒そのものを読んでみる。以前、このようなことを研究しようと思って挫折したのだが、それは明確な目的がなかったからだ。
 蜈蚣Melibe「バージェスの乙女たち」を選択。理由は作者が「ファンロード」寄稿者で、何度かレポートマンガを読んだことがあったから。バージェス頁岩の化石群からタイトルを採ったと思われるので、作者の趣味が出ているのだろうという期待もあった。
 内容。「家畜人ヤプー」から風刺を抜いた感じ。しかし「ラブひな」より格段におもしろい。具体的に書くのははばかられるので、単語だけ。「改造」「人間椅子」「女子有機人形」「感覚交換」……十分にマズいな。
 あと蜈蚣Melibeが自分の正体について明かしていた。なるほど。よくあるパターンだ。
 しかし、比較対象としては不適格だったかもしれない。
 口直しに塩野七生「コンスタンティノープルの陥落」途中まで読む。力強い文体だ。迷いがない。

 エリクシェル・ヴェーダについて、さらに情報が入る。
 追加パートナーには女神やチョコボがいるそうだ。じゃあ、ステディな魔女とか温泉ペンギンとか女性型アンドロイドなんてのもありかもしれないな。女性型アンドロイドといってレディを思い出すかゼロガールズを思い出すかで好みが……分かるわけがないか。ゼロガールズのテーマ「もしも恋人作るならアンドロイドが最高よ」というフレーズにはおぞけだったが、歌詞全文はもっと凄まじい。まあ、どうでもいいことだけれど。
 ああ、今日の日記も長くなった。しかもまとまりがない。困ったものである。


1999年3月31日

 年度末。
 ということで、仕事だ。忙しかったということと、事務所の模様替えがあったということと、だから余計忙しかったということだけ書けば、それで十分だろう。
 残業していると、第一係長からサービス業の心得について様々なアドバイスがあった。こうゆうのは、ありがたい。虚心に耳を傾ける。
 塩野七生「コンスタンティノープルの陥落」読了。無数の史料に取材するだけでなく、現地に行き道幅まで調べるほどの調査を行って書いたのだという。道理で、文章に裏付けある自信が満ちあふれている。力強い。
 コンスタンティノープル(イスタンブール)におけるトルコ軍の大砲使用が契機となり、甲冑が打ち捨てられ歩兵と大砲が戦争の主役となった、とある。そしてこれが中世と近世の境界なのだ、と。なるほど。つまり大砲の登場する世界にフルプレートアーマーを着た戦士が登場するのは、史実を重視すれば時代錯誤ということか。
 「ユニヴァース・エンド」プレイングマニュアルが届く。手違いその他により購入決意から4ヶ月も経ってしまった。しかもしばらく忙しいので、読む時間を捻出するのは大変そうだ。困ったものである。パラパラ眺めてみた感じでは、なかなかおもしろそうなのだけれど。


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