
1999年5月21日
テーブルトーク「セブン=フォートレス アドバンスド」を読み始める。読んでいるうちにリプレイを読みたくなり、「ゲーマーズ・フィールド」誌10号を見る。これには「平成十年三月現在入手が可能なRPG及びRPG関連書籍リスト」が掲載されているので購入したのだ。
投稿欄を見ると、これを勧めてくれた岡路さんの名前がある(ただし誤植)。テーブルトークの復興に関する真摯な意見だ。
私は就職活動の前後、ゲーマーとして仮死状態であった。そして蘇生してみると、テーブルトークは滅亡の危機にあった。ゲームブックが滅亡したのはこの目で確かめていたが、なんともやりきれない。そして流行っているのはトレーディングカードゲーム。蘇ったら美しい地球に醜い人類がはびこっているのを発見したデーモン族の心境、といったら恰好よすぎるか。
私は敢えて手を出していないが、やってみればマジック・ザ・ギャザリングもいいゲームなのだろう。金が際限なくかかるなどの問題点はありそうだが、そのよさは認める。で、その上で嫉妬を込めて皮肉ってしまう。
論語陽貨十八に「紫の朱を奪うを悪む。鄭声の雅楽を乱るを悪む。利口の邦家を覆すを悪む」(〔間色である〕紫が〔正色である〕赤を圧倒するのが憎い。〔みだらな〕鄭の国の音楽が〔正統な〕雅楽を乱すのが憎い。口だっしゃなものが国家をひっくりかえすのが憎い)とある。孔子のやり場のない憤りに、私は共感してやまない。
ところでMTGでは、バージョンが変わるとかつての強力なカードが使用できなくなることがあるらしい。ということで、世紀末。悪漢集団がジープに乗ったカードゲーマーを襲う。カードを強奪する。怯えた男性が大事そうに抱えているアタッシュケースをむしり取る。開けて、嘲笑うのだ。
「こいつ、まだこんなもの持っていやがるぜ! 今じゃケツふく紙にもなりゃしねえってのによ」
悪漢がバラまいたのは、今では使用できなくなったレアカード「聖徳太子」であった。
「北斗の拳」第一話を知らないと、何がなんだか分からないな。
これは三浦さんとの電話で出たネタなのだが、他にもRPG十大ニュースについても話し合った。順位は決めずに候補を出しただけなのだが、ちょっと紹介してみよう。
・ソードワールドRPG発売
・ロードス島戦記、ナウなヤングにバカウケ
・ゲームブック大流行
・ウォーロック創刊
・ゲームブック大衰退
・ウォーロック、T&Tマガジンになる
・ネットゲーム始まる
・遊演体副社長暴言事件(ゲムルの乱)
・ネットゲーム滅びる
・タクテクス、RPGマガジンになる
・RPGマガジン、MTGマガジンに変貌
・大貫昌幸、WARPSを完成させぬまま他界
・多摩豊も他界
・セブン=フォートレスやっと発売
・セブン=フォートレス改訂に次ぐ改訂
いかん。どうしてもオチをつけてしまう。
仕事。先日の件については、責任をすべて押しつけることで解決しそうだ。私への苦情は、今のところなし。ひたすら低姿勢でいつづけた甲斐があった。まあ、身も細る思いだったというのは事実だが。
ひと安心した午後3時。T先輩が、真っ青になってやってきた。
「この書類、一昨日が期限なんだけど……手伝って」
1999年5月22日
午前3時。やっと書類完成。タクシーにて帰宅。タクシー代の分お金ください、といいたかったがやめた。こんな時間だから始発を待ってもよかったが、約束は約束だ。言葉は名誉、名誉は命。スターム・ブライトブレイドの口癖を私は愛する。
ま、T先輩のためなら徹夜くらいかまわないんだが。私もいろいろ迷惑をかけているのだ。もうそろそろ恩返ししてもいいだろう。それに自分のせいで人を残すより、人のために残業する方が気楽だ。
昼頃目覚める。睡眠時間を計算すると、寝過ぎとはいえないだろう。
図書館でいろいろ借り出す。基本的に海賊王女の資料だ。大半が漢詩・漢文・漢語の資料というあたり、何を狙っているのか明白でよいかもしれない。これでアクションが巧くいかなかったらお笑い種だけれど。
「蒼天航路」16巻を読む。これまた狙い撃ちって感じだ。内容、説明しがたいおもしろさ。これについては後述する。
アンソロジー「弁天女子寮攻防戦」読了。どれもおもしろい。
新城十馬「南の島に、魔女の群れ〜名探偵・知里しのぶの事件簿〜」おそらく作者は知里しのぶとともに推理していったのではないだろうか。「蓬莱学園の初恋」で二級生徒を推理したように。違うかもしれないが、そう感じさせる部分がおもしろかった。
賀東招二「弁天女子寮攻防戦」おもしろい。しかしこれを私がおもしろく感じるのは、このおもしろさを完全に説明し得ることばをすでに持っているからではないか。作品の善し悪しとはまったく別の部分で、そんな気がしてしまった。
対して玖条正文「硝子瓶の中から」は、二点説明しやすい部分はあったものの、残りは説明しにくい。説明しやすい部分というのは、まず「造られたものが、造ったものを超える効果を生み出すこともある」という一節だ。これは蓬莱学園最強の魔導書「ミイル・イリュージャイ」についての説明であり、ネットゲーム「蓬莱学園の冒険!」のことであり、新城十馬=柳川房彦の創作理念そのものでもある。だから私は蓬莱学園に惹かれ、柳川房彦を尊敬しているのだ。
もうひとつは「この問いに答えを得るためには正しく問わねばならず、正しく問うということはすなわち答えを理解していなければ駄目だ」という部分で、夢枕獏「上弦の月を喰べる獅子」を連想させる。正しい問いは正しい答えを含む。1+1という問いは2という答えと等価であるのだ。
しかしこの二点を除けば、構成は複雑で、展開もやや強引。それさえも計算の内なのだろうけれど、説明しにくい。
余談であるが玖条正文とは希マスターの筆名だろう。文体および脇役に希という男が出ることから、間違いない。この短篇を以てのみ判断するのならば、いい文章を書くマスターと思ったかもしれない。しかし周囲の評判を参考に海賊王女の初期情報を読んだ限りでは、こういえる。ややこしい美文で焦点をぼかしているが、よくよく読んでみれば下らない冗談が書いてあるだけ、と。私の大嫌いな某氏と意見が一致してしまうのだが、この人にはリアクションではなく小説を書いて欲しい。この文体が大衆受けするとは考えにくいが、小説を書いていた方がおもしろそうだ。
話をもとに戻そう。
作品を説明できる、少なくともそのように感じる、だからおもしろい、というのは奇妙なことではないだろうか。それは自分の縄張りの中で、安心して愉しんでいるだけなのだから。いってしまえば臆病な愉しみ方だ。
もちろん作品の善し悪しとは、まるで関係ない。また誰かがこのような愉しみ方をしているということを非難しているわけではない。あくまで私自身にとって、ということだ。これは知的怠惰なのではないか、という反省がある。予め用意されていることばに当てはまるかどうかということでしか作品を評価しないということなのだから。
まったく、ややこしい疑問に突き当たってしまった。しかもこの疑問、私の中で未消化のままだ。公開日記に書くべきことではないかもしれない。しかし私がこの疑問をどう消化し、どのように解決して行くかということを示す手掛かりになると判断して、敢えて書いた。説明できないものを説明できるようにする過程のサンプル足り得るかもしれない。あるいは再び引用しようか。「この問いに答えを得るためには正しく問わねばならず、正しく問うということはすなわち答えを理解していなければ駄目だ」と。
さて。
「野望の王国」開設から一年ほどが経った。何か記念にやろうとしていたのだが、どうも時機を逸してしまったようだ。困ったものである。
そう思い、実はこの一週間、DigitalPadアクセスログ解析サービスを利用していた。まだ試用期間中なのだが、このまま引き続き利用する予定だ。JavaScriptを利用しているので、もし自分のアクセスログを解析されたくないという方は、JavaScriptをオフにしてからアクセスするようにして欲しい(私はそうしている)。ただし解析結果を悪用するような真似はしない。サンプルとして三名だけ登場してもらうことがあるかもしれないが、私と知り合ってしまったことを不幸と考えて諦めて欲しい。ということで、予め謝っておこう。ピエール榊くん、神くん、みやかわたけしさん(ご病気からは快復なさったのでしょうか?)、ごめんなさい。
解析対象としたのは、各ディレクトリのトップページだ。すべてのファイルにJavaScriptを埋め込むほど暇ではないし、そこまで解析しても煩雑になるだけだ。みなさんが読んでいるこのページを含め、十五ほどが対象となっている。
一週間(1999/5/14 6:53〜1999/5/21 6:22)で1,586アクセスがあった。このうち野望の王国トップページへのアクセスは834件。たいがいの人はトップページから目的の場所に移動し、そこからブックマークでどこかに飛んでいくということなのだろう。単純計算で1年に4万ほどのアクセスがあることになるが、まあそんなバカなことがあるわけがない。感度がよすぎるのだろう。別のページに飛んでまた戻ってくると再度カウント、ということと考えられる。
ざっと半分として、2万アクセス。味も素っ気もない文章のみのページで、書いているのはしがない事務員。掲示板もなければ凝った仕掛けもなく、内容はゲーム。それも電源なしのゲームとしては、まあ多い方なのだろう。ほぼ毎日更新ということで、リピーターが多いというのもあるだろう。リピーターというよりストーカーというべき人も数名いて、神くんなどは毎日三回はアクセスすると発言していた。君、そんなに私を愛しているのか。
他にもいろいろと分析しようかと思ったのだが、集計に関する知識が不足していてうまくいかなかった。アクセスログはCSV形式で送られてきているので、勉強して詳しく解析してみよう。
しかし今日の日記、カタカナことばが多くなった。なるべく使わないようにしているのだが、どうしてもコンピュータ関係のことを書こうとすると多用することになってしまう。かといって勝手に訳語を作成しても、通じない。困ったものである。
1999年5月23日
テーブルトーク「セブン=フォートレス アドバンスド」読了。迷宮探索が基本となる内容になっている。理由もしっかりしている。デザイナーとしての理由は、原初のおもしろさに立ち返るため。世界観としては、反勢力の魔力源“フォートレス・コア”を破壊するため。だからダンジョン(地下迷宮)ではなくフォートレス(砦)という用語が使用されている。シナリオ/迷宮作成の労力も軽減される仕組みになっている。なかなか遊べそうだ。
しかし……くだらぬ内ゲバに冒険者を利用しおって!という柿崎的憤りがあるというのも事実。冒険の目的がつまるところ内ゲバ、人々を護るために考案されたフォートレスシステムだというのに、天の三角と冥の三角どちらのアーキテクチャが優れているか争うというのは、なんともやりきれない設定だ。設定資料の端々から裏があることは読みとれるのだが、多くの冒険者はそこに行き着かず、反勢力のコア破壊に従事することになるのだろう。
実に気になる。リプレイを読まなければ気が済まない。近いうちに買ってくることにしよう。……金、持つかなあ。ここのところゲームを買いすぎたので、ちょっと心配。
そういえば私は高校生のころから身長はほとんど変わらない。しかし高校生のときの体重は軽かった。痩せていた。食費を書籍購入に回していたからだろう。そして基本書を読み漁ったのだ。夜を徹して読んでいた。よく体を壊さなかったものだ。代わりに体重は増えなかった。「RPGでみるみる痩せる」というダイエット本を出したら、売れるだろうか。続編は「事務作業泊まり込みでみるみる痩せる」だ。
三浦さんのところに遊びに行く。
昼過ぎ到着。三浦さん、約束のものを出してくださる。「ストームブリンガー」だ。感謝していただく。さらに「ファー・ローズ・トゥ・ロード」もくださった。ただし地図なし。まあ、それはいいか。
しばらく過去のゲームの失敗点を語り合う。悪口をいっているのではない。過去の過ちを繰り返さないために、反省するべき点を確認しあったのだ。
「ビヨンド・ローズ・トゥ・ロード」の失敗は、戦闘ルールをしっかりと造ってしまったことではないか、と三浦さんはいう。ルールがあれば使いたくなるのが人情というもの。「ワース・ブレイド」も操兵のルールを詳細に造りつつ、操兵は滅多に出してはいけないとしたから失敗した。だから敢えて曖昧なルールにした方がよかったのではないか、と三浦さんは主張していた。
ふと「Dragon Quest」を思い出す。コンピュータゲームではなくSPI(後にTSRより再版)のテーブルトーク(未訳)だ。戦闘を避けさせるために、あえて戦闘ルールを厳密なシミュレーションにした。そのため1戦闘に一晩はかかるというひどい代物になったという。これでは、困るのだ。
また「ルーンクエスト」だが、これは間が悪いとしかいえない出逢いをしてしまった。私のキャラクターはグラディウス(剣の一種。念のため)で敵に斬りかかった。判定はファンブル。そしてファンブルの結果はクリティカルで、自らの脚を貫いた。しかもそれがさらにクリティカルであり、脚を切り落としてしまった(確率1万分の1!)。手製のランダム叫び声ジェネレータを使用し、キャラクターは「ゴバゴバー!」と叫んだ。単に「ジョジョの奇妙な冒険」第一部の適当なページを開いただけだが、マスターもゴバゴバーだったろう。私もゴバゴパーだった。以来、「ルーンクエスト」がプレイされることはなかった。
我々のサークルでもっともプレイされたのは「D&D」と「ワープス・ファンタジー」だろう。第一世代寄りの嗜好を持っているからだ。もちろん「クトゥルフの呼び声」や「ソードワールドRPG」もプレイした。一時期は「ワープス 機動戦士ガンダム・逆襲のシャア」や「ロードス島コンパニオン」ばかりをプレイしたこともあった。しかし基本は「D&D」と「ワープス・ファンタジー」だ。しかしシンプルならよいというものではなく、「フォーリナー」「アドバンスド・ファイティング・ファンタジー」は一度しかプレイされなかった。
ならば我々の望むゲームとはいかなるものか。残念ながらデザイン能力を伸ばすことをしなかった我々には、理想のゲームをデザインすることはできない。数名でプレイするだけなのだから、既存のルールを独自解釈で使用する方がよかったからだ。それでも理想型だけは分かる。それはシンプルであるが柔軟性があり、ノリで判定を左右することができるが明白な無茶は却下できるシステムだ。
「数値なんてものは飾りです。えらい人にはそれが分からんのです。大丈夫、きっと大佐ならプレイできますよ」
その点では、PBMのシステムに見るべきものがある。まだ運用されていないが「海賊王女の凱旋」の名誉システムの素晴らしさは何度も繰り返し述べたとおりだ。また現在完全に休止しており再開の目処は立っていないが「AEON/NOVA」のシステムはなかなかよかった(どうやら「トーキョーNOVA」のシステムを借用しただけらしいのだけれど、そしてマスタリングとは別問題なのだけれど、それでもよかった)。
もしも一部プレイヤーのわがままさえ押さえられるのならば、本当に数値はどうでもいい。戦闘システムもあっけないほど簡潔なものでいい。「つよい」「かしこい」「のろま」そんな能力表記で十分なのだ。ただまあ、やり込んだプレイヤーにしか通用しないというのは事実なのだけれど。
「モンスターメーカーRPG」の話から、古書店に行くことになる。この付近の古書店にはゲームブックやテーブルトークがかなりあるらしい。ということで、移動。自動車で行ってよかった。
一軒目。笑いながら数冊購入。駄本だけど、安いからいいか。そんなことをいいながら、レジに行く。レジのお嬢さん、とある人物にそっくりであった。頼りなさそうなところがそっくりだ。店を出て、三浦さんに耳打ちする。
「あれ、日名いずるそっくりでした」
「本人じゃないのか?」
「名前が違いました」
二軒目。宝の山。大喜びでひと抱え購入。この値段なら、いくら買ってもいい。しかも「ゾーク」は、3巻セット一万円で引き取るといっている人がいた。私はすでに持っているけれど、欲しがっている人のために保護するのはよいことだ。特に本の価値の分からなそうな人ばかりの店からは。これがイエローサブマリンなどだったら、あるいは価値の分かる人が来るだろうから、買い漁るのはためらうのだけれど。
三軒目。ここも大漁で……だんだん、怖くなってくる。
四軒目。助けて。
五軒目。思考停止。
六軒目……
以下に本日の収穫を示す。
三浦さんからいただいたもの。
ストームブリンガー
ファー・ローズ・トゥ・ロード
アドバンスド・ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ(プレイヤーズハンドブック)
フォーリナー
マジック・アンド・シティ(フォーリナーサプリメント)
指輪物語ロールプレイング
ワース・ブレイド
ジーク・ジオン
クロス・オブ・ジオン
ルナ・ヴァルガーRPGリプレイ 呆然
古書店からの収穫(小説類は除く)
D&Dルールサイクロペディア モンスターズ
央華封神ルールブック プレイヤーブック
央華封神ルールブック ゲームマスターブック
央華封神を遊ぶ本
魔人の沼
クロちゃんのRPG千夜一夜4
モンスターメーカーRPG
ブルーフォレスト物語がよくわかる本
アドバンスト・ウィザードリィRPGモンスターマニュアル
アドバンスト・ウィザードリィRPGモンスターマニュアル2
放課後奇譚RPG
聖刻1092RPG1 西風の放浪者
聖刻1092RPG2 荒野の探索者
魔法使いの丘
城塞都市カーレ
七匹の大蛇
王たちの冠
ファイティング・ファンタジー
ネバーランドのリンゴ
巨大コンピュータの謎
パンタクル
スーパーマリオブラザーズ マリオを救え!
スーパーマリオワールド 恐竜ランド編
ファイナルファンタジー
魔神英雄伝ワタル
魔神英雄伝ワタル外伝
桃太郎電光石火
魔界横断ドラゴンラリー
ファンタシースター
高橋名人のBugってハニー
ペンギン忍者隊
ファンタジーゾーン
ファミスタ'90
ファミリースタジアムVOL.3
ヤマト魔神伝
悪党どもの黙示録
ゴエモン危機一発
SDガンダム
トルネコの大冒険3
ラハルスの戦い
惑星カリブの罠
超能力者奪還せよ!
キング・ソロモンの秘宝
大遺産を探せ!
妖魔館の謎
鉄人28号東京原爆作戦
F-4Jファントム ラインバッカー作戦
日本横断キャノンボール 火の玉レース
ドラゴンスピリット
トップをねらえ!
機動戦士ガンダム0080 消えたNT
機動戦士ガンダム 灼熱の追撃
機動戦士ガンダム 最期の赤い彗星
ソロモンの鍵 外伝
霊界遊行 きみは死後の次元へと旅立つ
グーニーズ
縄文伝説
キングスナイト
ゾークI
ゾークIII
ウルティマIV
完全犯罪ゲーム
ファルコンI
ファルコンIV
ウィッチクエスト 上巻
数冊、小説も購入した。それも含めて、締めて11,103円也。
「石井、なぜそこまで買う」
「さて……意地、でございましょうか」
「オタクとしてのか?」
「いえ、人としての、でございます」
「なんと涼やかな……なんてはいってやらねえぞ」
九州に出張したときは、訪れた古書店のゲームブック・テーブルトーク関連書籍をことごとく漁り尽くしたといえる。しかし今回は、とてもではないが買い占められなかった。複数冊あるものも多かったのだ。本気で探書するならば、かなりのものが入手できるのではないだろうか。
しかし……胸に去来する虚しさは、いったいなんだろう。ほとんどが駄本と知りつつ、敢えて保護するという矛盾からくるのだろうか。しかし少なくともこれだけはいえる。今日、これほどのゲームブックを買い込んだのは、日本広しといえども私だけである、と。
三浦さん、本日の日記を愉しみにしているとおっしゃっていた。これで、満足していただけたろうか。
1999年5月24日
職場近くに献血車が来たので、昼休みに献血。怪我人は地球人の血で生きていけるのだ。待っていろ地球人、献血車は大挙して職場に押し寄せるだろう。
400mlも血を抜いたので、腹が減ってならない。ということで、とっとと帰宅。
読みかけだった「モンスター!モンスター!!」読了。ハイパーT&Tデータブックで、旧版とは!マークの数が違う。まるで蓬莱学園のようだ。文章に難がある気がしたが、北沢慶22歳の作品と知ったので手を緩めることにした。この人、同い年だ。あまり攻撃すると自分に跳ね返ってくる。それに、今日は血とともに毒液を抜いてしまった。
ところでハイパーT&Tではオフィシャルワールドとしてドラゴン大陸を採用している。……セル=アーネイは?
昨日の収穫より「クロちゃんのRPG千夜一夜」4巻読了。毎度馬鹿馬鹿しいお笑いを、という内容。かつては「コンプティーク」誌でこれを読んでいた。いつのころからか「コンプティーク」誌を読むこともなくなり、黒田幸弘のことも忘れてしまっていたが、改めて読み返すとなんともいえずよい。そういえば「鷹の探索」は、取り立てて印象に残る作品ではなかったが、あっさりとプレイできる佳作であった。印象に残らなかったのは難がないからであって、このような作品が量産されていればゲームブックの粗製濫造にも歯止めが……かからないね。困ったものだ。
あとがきは、大貫昌幸さんの追悼文。大貫さんは1993年1月に他界。享年28歳だったそうだ。ずっと年上という印象があったのだが、今の私は26歳。あと2年で大貫さんの年齢を追い越してしまう。逆算するならば、私の歳には大貫さんはゲーム紹介者、ゲームデザイナーとして活躍していた。我が身と比べるのも烏滸がましいが、それにしても惜しい人だった。
テーブルトーク「ファイティング・ファンタジー」のうちシナリオ「願いの井戸」を読む。カーレの願いの井戸に放り込まれた金貨は、ざっと48枚。この点を確認するためだけでも価値がある。願いの井戸でひどい目にあった人なら、分かってくれるだろう。
三浦さんのことばを思い出す。かつてゲームのシステム論、デザイン論を書いた人で、今に残るゲームを創った人はいるのか、というのだ。浅羽通明さんは「天使の王国」でかく語った。ナンパマニュアルを書いた者のいかほどが実際にナンパをしたことがあるのか、成功したことがあるのか、と。似たようなものではあるまいか。しかし、私はこれから似たようなことをする。
「ワース・ブレイド」は操兵を出すことを制限したために(そればかりではないだろうが)失敗した。操兵が珍しい存在である、という設定は、それはそれでいいとしよう。しかしプレイヤーは(そしてマスターは)操兵を使いたいのだ。この欲望を満たしてやることも大切だ。
たとえば操兵は珍しいということを設定資料の中で繰り返し、その上で、キャラクターは特別な存在だから操兵を持っているとするのだ。特別な存在とは優れた存在ということではない。人間原理を採用すればいい。操兵を持っているという条件を満たしているから、キャラクターたり得たとするのだ。
あるいは、世界設定そのものを変えてしまう。操兵はさほど珍しくないとする。だからシナリオに自由に登場させてよいとすれば、操兵を使いたいという要求をかなえることができる。つまり、世界設定が間違っているのだ。
伝え聞いた噂に、こんなものがあった。世界設定に関する会議で、こんな会話がなされたのだという。あまりに馬鹿馬鹿しいので事実とは思えないが、その愚かさゆえ教訓に富んでいる。
「これはほのぼのとした世界です」
「では、戦闘場面はどのようにしましょうか。死体はほのぼのではないと思います」
「そうですね、では、死体はすぐ消え去ることにしましょう」
「そうすると、肉を食べられないのではないでしょうか」
「ならば、食べるために殺した場合は死体が残ることにしましょう」
「なら、人を食べるために殺したら死体は残るのですか」
「人は食べ物ではありません」
「人喰い人種は?」
死体が消え去るなどという姑息な解決をはかったために、実に愚かしい展開になった。このような解答をするべきだったのだろう。
「ほのぼのとした世界観に戦闘は似合いません。可能な限りそのようなことが起こらないよう物語を誘導することが望ましいです。また戦闘が起こったとしても、残酷な描写は避けるようにしてください。そしてどうしても仕方がなく死者が発生することがあったとしても、その克明な描写は決して行わないでください。これはほのぼのとした世界観を基調としています。物語はほのぼのとした論理に従って発生し、展開し、解決するのです」
翻って「テレスの街の物語」はその世界観を理解されているだろうか。システムは巧く機能しているだろうか。否、といわざるを得ない。過去のシステムを参考に、修正していく他はないだろう。過去の過ちを繰り返さないために。だから私は失敗作を買い漁り、読み耽っているのだ。
中川の奥様から電話。出産を機に蔵書を整理しているとのこと。ついてはゲームブック等を進呈するとのことで……ありがたく頂戴することになった。
「ほら。猫屋敷ってあるじゃない。そうゆうものなのよ」
「そうゆうものって」
「自然にゲームブックが集まっちゃうの。新井素子家が人形屋敷なのと同じく」
「……肩に背負った十字架の使命の重さに耐えかねて、床が抜けないといいけど」
1999年5月25日
「モンスターメーカーRPG」読了。いい本だ。世界観に相応しい文体で書かれている。システムも、世界観にあっている。当たり前といえば当たり前だが、いい。九月姫とわきあかつぐみ(当時)のイラストもよい。システムに慣れさせるためにゲームブック的な手法を用いているのもいい。
なんでこれ、絶版なのだろう。カードゲームの方が飽きられてしまったからなのだろうか。残念なことだ。私はこの世界で遊びたいとは思わないのだが、この世界観を好む人は少なくないだろうに。
「ファイティング・ファンタジー」読了。これを読むと、スティーブ・ジャクソン(英)が何を目指してゲームブックを作ったのかよく分かる。ジャクソンは人々をテーブルトークに導くため、過渡的なものとしてゲームブックを作ったのだ。だから簡易システムであり、ゲームブックから違和感なく入れる作品として「ファイティング・ファンタジー」を書いたのだろう。実際、私がはじめてマスリングしたのは「ファイティング・ファンタジー」だったはずだ。
テーブルトークでは、小説的な意味での濃密な描写は難しい。しかし臨場感はある。自由度が高い。ゲームブックはどうしても自由度が低くなり、人対人の臨場感もない。だから濃密な描写により説得力を出そうとしたのではないだろうか。末期の、あるいは粗製濫造されたゲームブックのすかすかな描写を思い起こし、「ファイティング・ファンタジー」の濃密な状況説明を読んでいて、そんなことを考えた。
「RPG福袋'93」読了。未だにプレイしている人がいるらしく、嬉しくなる。イロモノかもしれないが、やってみたいジャンルばかりだ。しかも「巨大ヒーロー」「戦隊ヒーロー」「不思議な居候」などをゲーム化すれば、どうしたってイロモノになる。
みつはしちかこ「小さな恋のものがたり」33巻読了。私はこの物語を二十年近くも読み続けていることになる。あとがきに、みつはしちかこは自分の住所を記していた。この人は、優しい。とても優しい。人を信じている。こんな人がまだいることに、感動を覚えた。
仕事を予定通りのペースで進める。トラブルもほぼ終結に向かっているので、Tさんに中間報告しようとするが……
「あら、Tさんなら今日、休暇よ」
やり場のない怒りを、どう処理したらいいというのだ。
いきなり実施された打ち上げパーティに乾杯だけ出席し、帰る。5分ほどの遅刻で福原くんと妹に合流。さっそく鳥料理の店に移動。先日不戦敗宣言を出した、1階の店だ。店員の表面上の対応はよいが、生ビールを出すのにもかなりの時間を要していた。客の入りは少ないのだから、要領が悪いのだろう。それでも、悪い店というわけではなかった。
セクシャルハラスメントのニュースがあったので、くだらない疑問を提示してみる。男性上司が女性部下にセクハラをする。あるいはその逆。これはまあ、いけないことだがよくあることだ。では、男性上司が男性部下にセクハラをして、その結果エイズを伝染させた場合、これは労務災害にあたるのだろうか。セクハラ云々とは別に。それとも損害賠償は上司個人に対して行わなければならないのだろうか。
さいろす民芸資料館の掲示板に、「ソーサリー」の編集者・新藤克巳さんが書き込んでいらっしゃる。我々の東京創元社訪問のことを覚えていてくださっているとのことで、前美藝公・笠森信太郎に覚えていてもらった仙蔵老人のように感動する。渡部正久先輩と青井竜さんの結婚式にも列席したとのこと。なるほど、この人なら仲人をしていても不思議では……いや、さすがに仲人は言い過ぎか。
しかし仲人という単語から「夫婦喧嘩の仲裁」に頭がショートカットしてしまう。甘い甘い、うんざりするような夫婦喧嘩を想像して(我ながら失礼だな)大笑いする。前にも書いたが、私の知っているのは中学生のころの青井さんだけなのだ。
新藤さんが覚えていてくださったことを話すと福原くん
「お主のことだから、どうせろくな覚えられ方ではあるまい。大暴れしたんだろう」
「いやいや。私が大暴れしたのは別の出版社に対してであって、東京創元社に遊びに行ったときは……「暗黒教団の陰謀」はひどかったと告げたのと、コリン・ウィルソン「賢者の石」の誤植を指摘したくらいだ」
まあ、態度そのものが大暴れだったと見られるかもしれないけれど。
そんなことを話していると、20時を回った。目的のジャズバーHalfToneに移動。すでにセッションは始まっていた。
今回はゲストでボーカルがいた。女性だ。声楽家は肉体が一個の楽器なのだと、さそうあきら「神童」にあった。おそらく私は、このような場に来るたびに「神童」を思い出すのだろう。しかし、たとえば舞台用の化粧、マイクの魅力的な持ち方、衣装のことなどまで、習うのだろうか。それとも女性が通常知っていることを、経験等により洗練しただけなのだろうか。眺めながら、そんなことを考えた。
場所がよかったのか、それとも生の音だからなのか。おそらく巧いからだろうが、声が鼓膜を通じるのではなく、直接脳髄に響くようであった。これじゃ黄金聖闘士(力最強の噛ませ犬)も倒されるわ。
音楽というよりも、振動を愉しむ。もしかしたら「神童」は「振動」とかけたタイトルで……いや、それはないか。
ファーストステージ最後の曲は、アレンジした「イマジン」だった。アルコールのせいか、細岡くんを思い出す。彼はみうらじゅんが「イマジン」を引用しつつ小林よしのりを賞賛したことに、たいそう感心していたのだ。
室内照明がつき、周囲を見回す。客の入りがよい。先々週とは大違いだ。福原くんも驚いていた。この2週間で何があったというのだろう。小一時間の休憩のあと、セカンドステージ。次の演奏に関する相談をしていたようなのだが……わずかこれだけの時間で、何をどう相談し、どのような決定と合意がなされたのだろうか。想像もつかない世界だ。
ともあれ、満足して帰宅。多少、酒が過ぎたかもしれないけれど。
メールチェックをすると“臑に七つの傷持つ男”細岡くんからメールが来ていた。吹き出してしまった。
ローズ・トゥ・ロードファンの方からもメールが来ていた。こりゃ、ちゃんと調べないといけないな。……あの書店に、「ビヨンド・ローズ・トゥ・ロード」(以下Bローズ)の参考書があったはずだ。この機会に購入してこようか。「ファー・ローズ・トゥ・ロード」(以下Fローズ)のサプリメントは、まあぼちぼち買っていこう。まさか売り切れたりはしないだろう。あとは、ディノンシリーズをプレイしなおそうか。ああ、やること山積みだな。
1999年5月26日
「Fローズ」ルールブックを読みながら出勤。ルールブックすべてとガイドブックの途中までを読んだ印象なのだが、「Bローズ」での不満点がすべて解消されている。これは食わず嫌いであった。このゲームが絶版というのは、惜しい。
「Bローズ」の不満はいくつもあった。破れやすいルールブック、煩雑な戦闘、巨大すぎる生まれ表とそれによるややこしい状況修正……要するに、アイデアを検証することなく詰め込んだという印象を受けた。使いこなせれば魅力的なのだろうけれど、少なくとも高校生だった私には無理だった。このあたり山北篤「ゲームのタネ!」で揶揄されているとおりだ。この評価を変えるつもりはない。
しかし「Fローズ」は、無駄な煩雑さがなくなっている。ユルセルームという世界を愉しみやすくなっている。別にファンの方に媚びているのではなく、また藤浪智之氏に世辞をいっているのではない。本気だ。なんでこのゲームを買わなかったのだろう。どうしてプレイしなかったのだろう。
ところでローズファン氏のメールに、素敵なことばがあった。引用させていただこう。
我々には、偶然性によって生まれた様々な矛盾を克服し得る想像力という武器があります。その武器を研ぎ澄ましてくれたのが、ローズ・トゥ・ロードのシリーズなのです。ゲーム中に発生した矛盾を「ルールの不備」と嘆くのではなく、「このような理不尽な事象が発生した理由は?」と解釈を楽しむ、そのような遊び方が言外に提示されたゲーム、それこそが僕たちにとってのローズ・トゥ・ロードでした。余談ですが柳川房彦氏は、そのような一見矛盾にも見える絡まりあった事態の解消を『解釈の冒険』と称しています。随分と奥行きがあり、僕も好きな言葉です。
「解釈の冒険」。そうか、こんな呼び方もあった。もちろんこの冒険のためには、ある程度の土台が必要だ。固い土台の上でこそ、自由に遊べるのだから。長谷川裕一「すごい科学で守ります!」は素晴らしい冒険の書だったし、三浦さんたちとのプレイは「解釈の冒険」を基調にしたものといえる。
いいことばだ。今後、使わせていただこう。
仕事のことは省略。大した事件は……書くと差し障りがある。
Bローズの資料が欲しくなり、山を越えたところにある書店に行く。2冊とも、まだそこにあった。初めて見掛けたときから、この本は私に買われる運命にあると感じていた。7年間も、私を待っていてくれたのか。なんだかとても愛おしい。
まず「ビヨンド・ローズ・トゥ・ロードで分かる実践RPG入門」読了。実はこの本、前に持っていたのだが、誰かに譲ってしまったのだ。読み返すと菊池たけしの暴走っぷりがおかしい。このころは「ちびまる子ちゃん」ブームであったなあ、と感慨に耽る。
そういえばBローズのサプリメント「変異混成魔術師の夜」には、相手にどのような印象を与えるかの表があった。まともなものもあったのだが「じゅるじゅるした」「ぷーんとした」などというわけの分からないものもあった。極めつけは「ばるばるな」で……なんだ「ばるばるな」ってのは! 菊池たけしは「RPGマガジン」誌で「ばるばる子ちゃん」なるキャラクターを登場させていた。「那由他の果てに」のサンプルキャラクターは「うしゃしゃでばるばるな女の子」という奇怪な生物で、プレイヤーに混乱を巻き起こした。
で……「ばるばるな」印象ってのは、何だったのだろう。
1999年5月27日
運行中にドアを開けるというまぬけな事故のため、朝のJR遅れる。バカぁ。
仕事、適当に切り上げる。明日は以費塾の日なのだけれど、データは明日に届くはずだ。ということは、残業になる。これはもう、仕方がない。今日は英気を養うのだ。
帰りのJR、架線にビニルが絡みついたとのことで、停止。一時間以上経つのに、作業まるで終了せず。この、バカ! 仕方がないので迂回して帰宅。
「精霊の大地 ビヨンド・ローズ・トゥ・ロードで分かる実践RPG入門2」読了。読み始めた瞬間、「ピルペを食って、タバコを吸う」「ひとつのガハハを笑う者は、すでにガハハと笑っている」というフレーズが脳裏をよぎった。読み終えて、納得。再録されたリプレイ「水晶と犬」(初出「タクテクス」74号)以来、しばらく高校のサークルで流行したことばであった。ちなみにピルペとは可燃性ガスの詰まった浮遊生物で、とても危険なことの譬えだ。
門倉直人が直々にマスタリングしたこのリプレイ、実におもしろい。このためだけにでもこの本を買う価値が……絶版だろうなあ。困ったものだ。「セブン=フォートレス」に登場する「危険が近づくと眠ってしまう体質」とは、このリプレイに登場した役に立たない三つのアイテム(犬)からきている。ちなみに水晶は決して当たらない占い道具だ。「北の滝の向こうの洞窟にはきっといないでしょう」「左の道が危なくないとはいえないでしょう」「まったくおしくないでしょう」など、愉快すぎる占いの結果を示してくれた。他に血がつくと壊れる剣というのもあったのだが、これは活用されなかった。
菊池たけしの文章をもっと読みたくなったので、新宿イエローサブマリンに寄る。JRの無能さは、私に「アルセイルの氷砦」を買え、という啓示に違いない。ということで、購入。ついでに東京ホビットに赴き、在庫確認。朱鷺田祐介「粋なゲーマー養成講座」発見。読みたかったのだ。ということで、これも購入。
「アルセイルの氷砦」読了。
分かった。きくたけは、めておなんだ。おもしろいものに対する勘と、遅筆ってところがそっくりだ。……いかん、褒めてから落としてしまった。落としてから褒めるのが私の流儀だというのに。
ともあれイブセマスジーの出典を確認できて満足。血がつくと壊れる剣も登場している。“カニアーマー”キタローも、最期は恰好いい。
深夜、ようやく帰宅。中川明代さんから段ボール箱が届いている。即座に中川さんとお母さんの会話を想像する。
「明代、いきなりそんなもの送りつけていいのかね」
いいぞ、もっといってくれ。
「いいのよ。だって石井くんは、ゲームの保護者なんですもの」
だからって限度があるぞ。
「おや、そうかい。お前もいい友達をもったね」
いえいえ、それほどでも。
「本当ね」
旦那さまもいい人ですよ。
ということで、勝手に納得して開封。……うぎゃあ。ほとんど持っている。
諸君、中川さんの蔵書は預かった。欲しくばメールしてくれ。近いうちにリストを作成する。こうゆうものは持つべき人がもってこそ価値がある。同時に、欲しい人が得るべきものでもある。複数持っていても仕方がない。私はゲーマーであり、コレクターではないのだから。
で、いいですよね中川さん?
1999年5月28日
仕事をばるばるこなす。どのあたりがばるばるなのかは抜群に秘密だ。ここのところがばるばるで、このあたりもばるばるだ。
データが届いたら徹夜で仕事を片付けてしまおうと思っていたが、こない。ということで、撤退する。今日のJR東日本は、平常通り運行していた。これでいいのだ。
朱鷺田祐介「粋なゲーマー養成講座」読了。うーむ、これは万人にお勧めとはいえない本だ。粋とは何かを語るほど野暮なことはないというが、それとは違う意味でお勧めできない。問題プレイヤー・問題マスターが誇張された形で描かれているため、下手に読むと引きずられる。無意識に避けていた問題行動をしてしまう。
法律雑誌で「弁護人始末記」という連載を読んでいると、こんな記述があった。彼は窃盗をするまいと強く誓って出所した。今度窃盗をすれば常習窃盗となり、最低3年の懲役だ。するまい、決して人の物に手をつけるまい。しかし通常、人は窃盗をしないなどということを意識することはない。万が一窃盗をできる状況に陥ったときにのみ、窃盗するまいと考えるのである。常に窃盗を避けようと意識することは、実は極めて異常なことなのだ。だから強く誓えば誓うほど、避けようとすればするほど、ふと気がゆるんだときに窃盗をしてしまうのではないか。
この意見が正当なものなのかは分からない。書いたのは弁護士だ。しかし、問題行動の誘発という点では、かなり説得力があるのではないだろうか。私は「粋なゲーマー養成講座」を読み終えてしばらく、自分がかつてしでかした問題行動を次々に思い出してしまった。とっくに克服し、あるいは別の点を伸ばすことで問題でなくした(少なくとも自分ではそう思っていた)欠点ばかりだ。ただ、それを再び見つめ直すことで弱点を完全に克服し、さらに強くなれる人ならば、この本は勧めたい。……本当に、読者を選ぶなあ。だいたい、入手は難しいだろうし。
あとは……ネットゲームとネットワークRPGが混同されていたり、かなり偏見に満ちた記述があるのが気になった。まあ、私も人のことはいえないのだけれど。
マンチキンについてはmunchkin.txtを参照して欲しい、との記述があった。さっそく検索。馬場秀和ライブラリに翻訳があることを発見。このホームページ、実に素晴らしい。
ともかく、マンチキンがいかにクズかということが克明に記されている。ちなみにマンチキンの定義は「だからさー、あいつらだよ、あいつら。分かるだろ?」だそうだ。これでもう、よく分かる。
中古テレビゲームの流通は著作権に触れない、との判決が出た。法律について上で触れたので、このことも書いておこう。理想的な裁判とは、正義の実現だ。法律はその道具にすぎない。裁判官は正義と信じるものの実現のために、法律という道具を活用する。弁護士も正義と信じるもののために法律を活用する。
ぶちまけた話、まず結論がある。そしてそのあとで、結論を導くための論理があり、論理を形成するために法律を使う。逆ではない。中古ソフト販売者の経済的正義とソフト会社の経済的正義のどちらを優先させるべきかという対立で、裁判官は中古ソフト販売者の正義を信じた。だからそのための論理を形成し、著作権法を利用したのだろう。法律はここまで活用してこそ初めて生きたものになる。
ちなみにこの考え方は、民法の時間に教授がもらした失言を核にして形成した。「あれ、この結論を導くには、どうしたらいいんだっけ」教授はしばらく悩み、結論から板書を始めた。野口悠紀夫の著書に同様の問題が触れられており、自分の考えが間違っていないことを確信した。
Fローズのルール、読了。モンスターがすべて奇妙な日本語に訳されているのは、まだカタカナ名称が一般的でなかった旧ローズからの伝統なのだろうか。人面獅子蠍とか女身鷲獅子なんて、今では却って分かり難いと思うのだが、だからといって歴史的名称ということで容易に変更できないのだろう。このあたり、私がプレイするときには無視させてもらおう。
新・源氏物語で古書を検索していると「失われた体」があった。なんてことだ。さっそく保護を申し出る。これも適価にて希望者に渡すことになるだろう。
1999年5月29日
ポンガヨンくんから即座にツッコミが入る。旧ローズのモンスター名称表記だが、
結論は外れ。
ユニコーンやガーゴイルなどという風に、たいがいはカタカナで表記されていました。ちなみに掲載されているモンスターは45種類。その内、日本語表記されているのは「毒蛾」と「有角人」だけです。ウルフやベアー、イーグル、スネークといった一般動物もカタカナ表記になっています。
当然、武器などの表記もカタカナで、更には武器(ルビ:ウェポン)実質損害(ルビ:リアルダメージ)致命的打撃(ルビ:クリティカルヒット)という具合にルビがそこら中にあふれています。そのあたりは新和D&D(r)の影響があるのではないでしょうか。
ちなみに剣のルビはスウォードです。
とのこと。ふむ。となると、カタカナ表記を嫌っただけなのだろうか。このあたり、美意識の問題なのだろう。私もカタカナ用語は避けるようにしているが、ここまでは徹底していない。どこまでやるかというのはバランス感覚の問題で、つまりどちらが正しいということではない。私はここまでやらないが、だからといって悪いといっているわけではないので念のため。
「アドバンスド・ウィザードリィRPGルールブック」を読む。5人プレイに最適であるようデザインしたとのこと。1人がマスター、1人がモンスター担当、3人がプレイヤーで各2キャラクターを操る。最適人数が定まっているのと2キャラクターを操るという点、私の求めるものとは違う。またウィザードリィは#1から#3が最高であると考え、#6と#7に手を出すことすらしていない私には、違和感がある内容でもある。それでも、なかなか凝った仕掛けがあっておもしろそうだ。個人的には魔法の名称が変更されたこと、特にメイジ最強最悪の呪文マティルトウェイトラがなくなったことを残念に思う。しかしまあ、私の方が偏狭なのだろうなあ。
中川さん宅へ。
途中、頼まれ物を買いに寄り道し、遅刻してしまった。悪いことをした。
とりあえず、お宅へ。うわあ。LDが本棚三本分ある。しかも観たいものばかり。ということで、コレクションを観賞しながら話す。
頼まれものをいくつか渡し、こちらも奥様の不要テーブルトークRPGをいただく。……こんなにいただいてしまって、いいのだろうか。などと殊勝なことを口ではいいつつ、強奪。絶版ゲームばかりでなく、近いうちに買う予定だったものもいただく。「ガープス・サイオニクス」は近日開始予定のPBM「今日、オリーブの苗を植えよう」の資料として欲しかったので丁度良かった。
他にも大量にもらったのだが、とても書ききれない。折を見て書いていくことにしよう。私はゲーマーであり、オタクなのだ。決してコレクターではない。少なくともルールブックを読むだけはしたい。唐沢俊一は古書コレクターで、こんなに膨大なコレクションを読み切れるのかと聞かれ、こう断言した。
「そんな些細なことは考えたこともない」
私は、プレイはできずとも読むだけはしたい。永野のりこの短篇に、こんなものがあったのだ。滅びた世界。ひとり残された少女。誰かに出逢いたい、誰かに自分を知ってもらいたい。そして別の世界、別の時代。少年は物語を手にする。たったひとり残された少女の物語を。少年に出逢うために、少女は存在したのだ。
説明不足だろうが、この作品について細かくは書きたくない。これは、詩だ。
念のため、実家に帰っている奥様に確認の電話をする。中川の旦那、娘の声を聞きたがってもだえていた。親バカだ。しかし親がバカになってやらなくて、誰がなるというのだ。なんだか、いいなあ。
酒を飲みに行き、商業PBMについていろいろヤバい話をする。まあ、私は一介のプレイヤーに過ぎないので、知っているヤバいことといってもたかが知れているのだけれど。……知れていてくれ。知りたくねえ。
しかし私は「クトゥルフの呼び声」でいうならば、読めば確実に発狂する魔導書を読んでしまうような男だ。奴らはいうかもしれない、好奇心がお前を醜くしてるのだ、と。しかし私は、おののきながらためらいながら、無名祭祀書を読むのだろう。ネクロノミコンを焼き捨てたことを生涯後悔するのだろう。困ったものである。
中川さん宅に戻り、編集したオープニング・エンディング集ビデオを観る。特攻シーンがあり、ならばということで「無敵超人ザンボット3」ラスト2話を観る。涙が出てくる。これを観て泣かないようなヤツは人間じゃない。宇宙太と恵子の特攻を見て「でもザンボットは三体合体しないとイオンエンジン作動しないよ」などとツッコミを入れるヤツは、背中に爆弾を埋め込んでやる。
さらにいろいろ観る。中川さん、今日のガイアを観たいとのこと。で、観る。
実はガイアは観ていないのだ。しかし、なかなか重い話でよかった。私が観た範囲でまとめると、こうなる。ビデオでチェックしている人にはネタバラシになるので、注意して欲しい。
ウルトラマンガイアは地球と人類を守ろうとする。ガイアのライバルのウルトラマンは、自分の創り上げた量子コンピュータの結論に従い、迷いながらも、人類を排除することが地球を救うことだと判断する。しかし量子コンピュータは何ものかによって狂わされており、結論も歪められたものであった。ライバルはガイアに能力を渡し、去る。
そして今回。地底に怪獣がいる。怪獣は休眠中だが、防衛組織上層部は地底貫通ミサイルの使用を決議する。ガイアはとめようとする。再登場したライバルは、ミサイル管制室に潜入して、力づくでとめようとする。しかしミサイルは発射される。ミサイルは、怪獣を呼び起こしただけであった。管制室に迫る怪獣。呆然と見守るガイア。防衛装置で迎撃する管制室。そして、怪獣は倒れた。怪獣とは、共存できないのか。人類は自ら機会を振り捨ててしまうのか。
暗い話であった。しかし、私好みだ。ということで、過去の話も見せてもらう。
観ながら、思った。中川さんはオタクだ。コレクターだ。しかし自分で愉しむだけではなく、人に愉しんでもらうためのコレクションもしているし、愉しませるために活用している。この一点、私には欠落している。いい、旦那だなあ。
1999年5月30日
深夜。さすがに疲れたので、寝る。
横になって、ふと恋愛の話になる。経験者として、いろいろとためになる話を聞かせてくださった。
目覚める。
ぼーっとする。CDを聞いたりLDを観たりする。「ククルス・ドアンの島」を観られたのは収穫であった。ザイダベック号の変形の強引さも素晴らしい。ドラマ「パパ愛してる」は「じんべい」そっくりだと笑い合う。しかし、あまりに大量の作品を観たのですべては書ききれない。おいおい書いていくことにしよう。
CD「彼氏彼女の事情」の「妖怪人間ベム」を聞いたことから、ビデオを観ることになる。4話まで観る。おお、おもしろいではないか。ということで、原作をお借りする。荷物、ものすごく重くなる。
夕食を共にして、帰宅。
津田雅美「彼氏彼女の事情」7巻まで読了。おもしろい。今さらだが、おもしろい。これは精神戦闘がよく描かれている。
私がおもしろがるのは、結果として人間が描けているかということだ。人間を描くことを目的とせよ、ということではない。あくまで結果としてだ。人間が描けていないことが、逆説的に人間を描いていることになることだってある。人間ドラマを描いたつもりで、まるで人間を描けていないことはよくあることだ。
「彼氏彼女の事情」は、精神戦闘がよく描かれている。精神的なイニシアチブの取り合い、精神の未知領域の提示とドラマの展開、精神成長。ひっくるめて私は「精神戦闘」と呼んでいる。正確な名称ではないのだが、私にはもっともしっくりくる用語なのだ。
「こんなことがあるんだろうか、私は同じ人にもう一度恋をしてしまった」なんて、なんともいえずによいセリフだ。なるほど、このあたりの観点からなら、恋愛を描くのもおもしろいかもしれない。
アニメは原作を忠実に再現しながら、独自の演出をしていた。これはこれでおもしろかった。同様の演出手法で「薔薇のために」をアニメ化してもらえないものだろうか。これはこれで実に素晴らしい作品だったのだ。
ドラゴン・オーケストラチャットに行く。
どうも私は「能力」に覚醒してしまったらしい。まだ「今日、オリーブの苗を植えよう」は始まっていないというのに。現実と虚構が交差するとは、私も虚人としての階梯を確実に登り詰めつつあるようだ。
私の能力とは、ピンポイントアクセス。チャットで私の話題が出た瞬間にアクセスする能力だ。偶然かと思っていたが、気味が悪いほど立て続く。しかも私の話題が出ないときはアクセスしないという徹底ぶりだ。
ともあれ、石丼くんつまり佐野くんと高度な会話。石井ではなく石丼だ。分かり難いなあ。
佐野くん、私のリプライの欠点を指摘。断片的な情報を再構成して正解を導く技量には長けているものの、それと行動が結びついていない、とのこと。この点については私もなんとかしようとしているのだが、8年かけても克服できていない。おそらく本気で克服しようとしていないのだろう。つまり、性格の問題だ。
ならば性格は変え得るか、二十歳を過ぎてからでは不可能に近いのではないか、という話題になる。二人チャットだったが、私にとっては実りのあるものになった。
ふと思い出し、「あっちもこっちもたまご大戦」ABブランチリアクション集用の原稿を書く。依頼された原稿はすべて受ける。それが己に課した定めなのだ。ま、断ることもあるれど。失礼な依頼とか、関係ない原稿とか、くだらない企画とか。
1999年5月31日
津田雅美「ブスと姫君」「オンナになった日」「天使の棲む部屋」「夢の城」立て続けに読む。中川さんは「彼氏彼女の事情」よりこれら短篇の方がよいと仰有っていたが、私は「彼氏彼女の事情」の方が好ましい。
しかし「ブスと姫君」収録の「18歳」は素晴らしかった。成績がよくプライドが高く、精神的に脆い受験生が陥る問題をよく描いている。分かる、分かる。私も同じ苦労をしたんだ。たぶん似た目にあっている受験生は多いだろう。読んで欲しい。プライドと現実のギャップに悩んでいる人にも読んで欲しい。得るものがある。私ごときが何万言を費やしても伝えられないものを描いている。
どうして私が他の作品を感心しなかったのか、それは明瞭だ。私は別に恋愛を読みたいわけではないのだ。前にも触れた精神戦闘──精神的な戦いとその展開を見たいのだ。それは自分との戦いであってもいいし、抽象的なものが相手であってもよい。
ふと、精神戦闘をゲームのルールにできるかという問題を思い付く。
できない、という結論に至る。
ルールというのは抽象化であり一般化だ。しかし精神戦闘は、ひとつひとつが個別特殊なものなのだ。おおよその部分はルールにできたとしても、ルールにできなかった部分を描くことで精神戦闘はおもしろいものになる。ルールの裏をかかなければ勝てないからこそ魅力的なのだ。だからおもしろい戦闘を行うたびに追加ルールを作成することになるだろう。しかも精神的なものであるだけに、万人に納得できるものにするのは難しい。感情を数値化したというだけで、Fローズは反発されたという。極端にいえばダイス目により思想的展開をなさなければならないとなれば、受け入れられるのはますます難しいだろう。
PBMならば可能だろうし、小説形式を採るのであれば採用せざるを得ない手法だ。またカード1枚1枚が追加ルールといえるトレーディングカードゲームならば、あるいは可能かもしれない。もちろん、極めて巧くデザインした場合の話だけれど。しかしテーブルトークでは、不可能だろう。……と、挑発してみる。
職場からの帰り、またも中央線が止まる。人身事故だそうだ。可哀想に。これだけ人々から憎まれては、成仏できまい。
再び「彼氏彼女の事情」3巻まで読む。
ああ、そうか。
予想範囲内に収まる反応しかしない人がつまらないのは、精神戦闘という概念で説明できるのか。と、勝手に納得。
こうやったらこう反応/無反応があると予想して、その通りの反応しかしてこない人がつまらないのは、未知領域への展開がないからなのか。新たな領域の開発がないからなのか。
しかし「予想範囲内に収まる反応しかしない人はつまらない」という意見を聞いたのは、かれこれ十年も前の話だ。そしてこの発言をした人物、数年ぶりに出逢ったというのに、予想範囲内の言動しかしてこなかった。困ったものである。
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