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2000年11月11日

 北海道に高飛びというのも悪くないな、と思いつく。
 そういえば北海道には「少年よ、野望を抱け」といった人がいた。うむ、いざとなった北海道だ。
 ……まだ原稿30枚。〆切までに完成するのか、少しばかり不安になってきた。
 まあ、なんとかなるか。なんとかするしかないのだが。
 「神よ、〆切を守らせたまえ」
 「マスター、神ではなく十年前の自分に祈ったらいかがですかな」
 ここまで進みが遅いと、どこかでアンチリアクションフィールドでも張られているのではないかという気分になってくる。なんとかしてアクション共鳴現象を発生させ、レポートを完成させるのだ。
 サボってぶるまー2000なんぞプレイしているので、こんなことばかり頭に浮かんでくる。困ったもんである。
 P.A.S.「蒼球のフレニール」モートリーは今回も放屁していた。神に愛されし放屁、などといわれる有様である。たぶんイロモノを書きたい気分のときに、ここまでおばかなアクションをかけてくるのが私だけだったということなのだろう。
 間って、大切だなあ。
 あとアクション本文で、かなり泣かせる内容になっていたのだが、実現の手段が「ゴールに臭いをつけて縄張りにしておく」だったため、テラーに呆れられた。そりゃまあ、そうだろう。

 なるほどそうか。
 ふと哲学の教授、鹿毛誠一先生のことばを思い出した。本を読んでいて、とてもおもしろいから早く読みたいという気持ちと、読み終えてしまうのが惜しいという気持ち。おいしいものがあって、独りで食べてしまいたいという気持ちとみんなで愉しく食べたいという気持ち。相反するそんな気持ちを知らないか、と。
 〆切ぎりぎりまでレポートが完成しないで、〆切直前になると異様に速度が上がるのは、きっとこれなんだな。つまり私は、レポートを書いてしまうのを惜しんでいるのだ。早く書けばそれだけ文章を練ることができるという気持ちと、こんな愉快な場面をとっとと書いてしまうのが惜しいという気持ちがあるんだろう。
 単に書くのが大変であるということの言い訳なのかも知れないが。
 レポートが完成しそうな気配を見せてきた。
 つまり、サボらずしっかりやっていれば、〆切に間に合うということだ。こんなときに事故が発生しないことを祈ろう。たとえば中央線に人が飛び込むとか。


2000年11月12日

 現実逃避のために柊あおい「星の瞳のシルエット」を読み出す。
 どうして私は、煮詰まってくると少女マンガを読むのだろうか。たぶん、妹が貸してくるからだろうな。そうゆうことにしておこう。
 茶でも飲もうというので、クレープをかじりながらコーヒーを飲む。
 そして妹のどーでもいい愚痴を聞くのだ。まあ、こうゆうのも、いいか。
 このところチャットで、かつて使っていた手法を再利用しだす。すなわち一撃離脱。ひとこと書いて、そのまま抜ける。
 ということで、神子さんは風邪なんだからとっとと寝るがよい。

 現実逃避を繰り返しつつ、なんとかあと1場面というところまで持っていく。
 まあ、なんとかなったかな。


2000年11月13日

 敵前逃亡は銃殺刑。
 「デモンスリンガー」担当マスター、いきなり変更。なんてこった。
 そして「クレギオン#9」アクション〆切が明日消印有効だということを思い出し、慌てて書き上げる。(後註:13日消印有効だった。ふだん火曜日消印有効だから、勘違いしていた。これだからスケジュール変更は困る)
 「狂気の方程式3 獣覚醒篇」はまだ終わらない。
 仕事は山積みだ。
 そして周囲は風邪だらけ。
 困ったもんである。
 そういえば今朝方、猫の死体を見かけた。急いでいたので、何もできなかった。時間があっても、たぶん何もできなかったろう。そんな自分を突き付けられたようで、へこむ。


2000年11月14日

 「狂気の方程式3 獣覚醒篇」第5回、やっと完成。42.3KB、原稿用紙68枚。
 力を出し尽くした、という実感がある。つまりこれがおもしろくなければ、私の今の実力はその程度だということだ。実力とは、〆切までに発揮できるものをいうのだから。

 さくさく仕事。
 とりあえず、ひとつを除いて山は片付けた。問題は残ったひとつなんだが。
 目処がついたので、帰宅。そしてコピーに行く。ここの素晴らしいところは、五千円札を出して「全部五百円玉で」といっても、まったく不思議そうな顔をしないところだ。考えてみれば、いいコピー機を置いているのだから、私のようなオタクがしばしば訪れていたとしても不思議はない。遭遇したことはないが、コミケ前日など、遭遇しそうだな。
 そして発送作業。
 作業しながら、アマギンのPBeMについて考える。持ち点15点または10点で、補給は基本的に無し。10点まで消費してよく、もっとも高い得点のものが物語の支配権を持つ。0点になると死亡だが、再登録はなしで死亡した状態のまま物語に影響を与える。
 検証してみたが、限定条件のもとでは、これは優れたシステムだ。プレイヤーの交流によって物語を操作できる。プレイヤー主導になる。それはマスターにとって負担になるが、アマギンくんの力をもってすればいと容易いことだろう。ちなみに私がどれほどアマギンくんを信用しているかはみやかわさんの1999年3月17日の日記参照のこと。
 限定条件とは、各サイドのプレイヤーがある程度おり、同時に連絡を取り合うことが完全には不可能ではないと感じられるくらいに留まっていること、ということだ。きっちり連絡を取り合えば、これはおもしろくなる。回数が決まっていないから、最適解は誰にも見えない。しかもゲームが長引けば、持ち点が補給される可能性まである。先が読めない。いいシステムだ。
 そして物語がおもしろいということに、私はまったく疑いを持っていないのである。
 ただしこのシステム、余人にはマスタリングできない。というのも、物語の基調をプレイヤーが決定することになるからだ。学園青春ドラマ、ホラー、各種うんちくもの、ギャグ、サスペンスなどなど、基本的になんでも書けなければ、このシステムはできない。
 逆に、文章を書く練習にはなるかもしれない。リアクションと小説はまるで別物なんだが。
 ちなみに参加登録は今月いっぱい。実働は来年の予定。
 「ポスタル☆テイル」52号が届く。真っ先に「滬龍の門」を読む。ほぼフィクションなのだが、曲直瀬さんが洪水で流され、パンツ一丁で電信柱の上で一夜を明かした状況を知りたかったのだ。……生きていて、ほんとうによかった。
 そしてその報告を、まずあきらめの悪い掲示板に書き込むってのが素敵過ぎる。


2000年11月15日

 意味もなくへこむ。
 大きな契約をまかされたのだ。それが1億円の契約だと思い込んでいたので大喜びだったのだが、よく見たら1千万円の契約だった。大口契約には違いないが。桁違い。これで俺も1億円プレイヤーだ、などといっていたのに。
 神子さんチャットでステーキ喰いたい話が出たので、昼はステーキ。そしてチーフは、自動車ぶつけたり知り合いの結婚が続いたりで、寂しくパン。昼食に誘ったら、しょんぼりしていた。いつもおごってもらっているから、こちらがおごってもよかったのに。
 ちなみにチャットで、恋人もいなけりゃ友達もおらず、趣味といえばPBMだけという寂しい人生なら、毎食ステーキでも平気、などと発言してみたところ、場が妙に活性化した。
 そういえばミハイルくん、メガネの美少女を恋人にする、などとできもしないことをいっていた。そのためには大阪イエローサブマリンでメガネの美少女に出逢う、というレアイベントに遭遇しなければならない。
 いやでも、実は私のあずかり知らぬところで事態はどんどん進行しており、すでに行き着くところまで行っているという可能性さえある。つまり別れ話。観察者原理だ。確認していないところで何が起こっているのか、それは確認するまで分からない。
 久々に論語と荘子(内篇)を読み返す。やっぱ、いいなあ。
 西洋思想がプラトンの注釈の歴史であるとすれば、東洋思想は論語の注釈史であった。儒教は孔子による支那思想の集大成だ(ちなみにどうしてわざわざ支那と表記するかというと、孔子のころに中国はなく、国名がころころ変更されていたからだ)。そして孔子は怪・力・乱・神を語らず、生をしらないととぼけて死を語らなかった。それは孔子の一貫性だ。素晴らしいことに、孔子がどのように死んだのかは伝わっていない。ただ子貢が五年の喪に服した、とだけ語られている。おそらくは老衰であろうが、最後のことばも不明だ。ソクラテスが、釈迦が、キリストの死が劇的に語り継がれているのに比べると、これがどれほど特異なことか分かるのではないだろうか。
 そして孔子が語らなかったことを、荘子が語っている。荘子のことは、しばらく忘れていた。たぶん荘子が矛盾した書だからだろう。それは内容が矛盾しているということではない。語ることのできないことを語る、という矛盾だ。それは繰り返し示され、その周到さには舌を巻くばかりだ。
 その絶望が、哀しみを癒す。今、私は幸せだ。そして荘子は、幸福である人の書ではない。たぶん哀しいときに、また読み返すことになるのだろう。
 「モンティパイソン・アンド・ナウ」を観ながら酒を飲んでいると、猛烈に眠くなった。で、寝る。
 ミハイルから電話があり、起こされる。で、MuriChatというソフトについて教えてもらう。ドラゴン・オーケストラのメンバーが夜毎IRCで密談しているということなので、アマギンのPBeMについて語り合うために導入したかったのだ。
 ミハイルチャットで教えてもらいながら、導入。無事、ドラゴン・オーケストラチャットに入ることができた。よかった、よかった。


2000年11月16日

 マスタリングを終えてひと安心したので、今まで控えていたことを試してみることにする。
 まずアプリケーションをいろいろと試用してみる。
 ブラウザ、私はNetscape navigator 3.03を使用しているのだが、より軽いものが欲しい。そこで雑誌でみかけた「かまいたち」というブラウザを試してみる。画面が切り替わるときにカチカチ音がするのが気に入らないが、それは設定でなんとかなるだろう。一番気に入らないのはエンジンにIEのものを使用しているということで、私はIE……というかMS嫌いなのだ。まあ、このあたりは妥協するしかないんだろうな。
 起動が早い。とにかく早い。使い勝手については数日使ってみるしかないだろうが、なかなかよさげだ。
 MuriChatの設定についてのページを発見したので、設定をやり直してみる。とりあえず、チャットのログを保存できるようにする。壁に耳あり障子に目あり。いつでもメガネの美乗除に観られているつもりで緊張感を持ちたい。だからといって人の発言を勝手に公表したりは、たぶんしないが。
 あとはハンドルネームの設定やらなんやらをいじくる。
 VECTOR SOFTWARE PACKでペルソナウェアがシェアウェアになったという記事を見かけたので、試用。と、これ、実は半月ほど前から試しているのだが。レポートを書いているといきなり「もう3時です。早く寝た方がいいですよ」とか「もう13時間も作業を続けています。お休みになってはいかがですか」などと話しかけてくる。よけいなお世話だ、放っておいてくれ。
 ということで、ばっさりアンインストール。
 ただ、おもしろいアプリケーションだった。好きになる人は好きになるだろう。特にバイオリズムなんて、これまで気にしたこともなかった。へえ、私ってもう1万日以上も生きているのか。……1万日? 佐野洋子『百万回死んだ猫』は、仮に一日一回死んだとして、2,740年ほども生きていたということか。すごい話だな。
 アマギンのPBeMのキャラクターを作成。ただ技能について、疑問が生じる。このゲームでは技能は各自で作成していい。名称と割り振った点数で効果が決定される。このシステムは私も「テレスの街の物語」で採用したのだが、どこまで細分すればいいか、という疑問が生じる。
 まあ、常識の範囲内で考えればいいか。少人数ゲームだと、このあたりは「常識」に委ねることができる。異なる価値観の持ち主が集まるとき、それは「規則」に委ねられることになる。ときとして呆れた規則が制定されることもあり、それはたとえば栗本慎一郎『パンツをはいたサル』に詳しい。劇場にライオンを連れて入ってはならないとか、横断歩道を逆立ちして渡ってはならないとか、牛乳におしっこを混ぜて増量してはならないなど、んなこたぁ常識だろうよと叫びたくなるような規則が示されている。
 ともあれ、今日も平和な一日であった。


2000年11月17日

 神子さんチャットに行き、みかんさんと愛を育んでみる。みかんさんは大阪在住のメガネの美少女で、一見かわいい中学生だが実は古参ネットゲーマーにしてMr.0のが王下七部海のクロコダイルだと知っているというアンビバレントな人だ。やあ、話していて愉しいなあ。
 問題はメガネの美少女というのが自称であって、リアクションに描写されたことはないということくらいだろう。つうか中川の旦那、こいつこんなこといってますぜ。いいんですかい?(私信)

 とっとと寝る予定が、つい夜更かししてしまった。
 一千万円仕事をあっさりすませて、帰宅。
 寝不足のせいか、このところ疲れて仕方がない。しかし時間に余裕があるのが嬉しくて、読書を続ける。
 J=J.ルセルクル『現代思想で読むフランケンシュタイン』は一休みして、バートン・L・マック『失われた福音書』を途中まで読む。Qについてのまとまった研究書だ。Qの翻訳も載っている。前にも書いたが、Qとは福音書の原資料で、イエスの言行録だ。それが実際に書かれたものとしてあったかは不明だが、存在したことはほぼ定説となっている。これを復元することで、イエスが実際には何をいい、何をいわなかったかが明らかになってくる。実にスリリングだ。
 「私は何という誤りをおかしていたのでしょう。すべてのヒントは福音書に記されていたのです。それなのに今まで気がつかなかった」
 呉学人っぽく泣いてみる。答えは目の前にあった。だが、気がつかなかった。実にネットゲーム的な展開で、私好みだ。正典福音書が4バージョンあり、相互に矛盾しているということの意味に気がつかないとは。なんたる失態、私がアスタロトであるならば、こういうだろう。魔王たちから石もて追われても何ら釈明できない、と。もちろんここでいうアスタロトは魔夜峰央の描くところのもので、女神イシターとはあまり関係ない。
 だから私にとっては非常にスリリングであるのだが、世のキリスト者にとってはどうだろうか。
 別にキリスト者を批判するわけではないが、Qの存在を教会が隠していて、この情報にアクセスできない、というのならば、知らなくても仕方がない。しかし教会は、別に隠していない。国際Qプロジェクトというものまで進行しているし、私はこの本を市立図書館で借りたのだ。明かされているのに、知ろうとしない。これはどうゆうことだろう。
 知りたくないから、知る必要がないから、知らないのだ。
 呉智英先生は仰有った。オヤジ狩りをして奪い得た金、援助交際による収入でマル・エン全集や岩波文庫を買い漁った人はいない、と。知識は、いまや広く公開されている。それを概観するだけでも、一生をかけても終わらないのではないかと思われるほどだ。にもかかわらず、あるいは、だからこそ、ほとんどの人は広大な知識の海に乗り出そうとしない。我々は無知という名の海のただなか、遠く乗り出すいわれもない、というわけだ。だが私は天の戮民、知識欲という名の饕餮が私を滅ぼし百万粒の灰にするまで旅を続けるだろう。
 などと、キリスト教とクトゥルフ神話と儒教が入り混じったことを妄想してみる。
 Qの存在は、キリスト者にとっては衝撃だろう。しかしよく練れた信者ならば、それは衝撃以上のものではないのではないだろうか。つまり、信仰は揺るがないだろう。
 仮にQすら誤りであり、タイムテレビなどが発明されてイエスが実はただの詐欺師であるということが確定した事実となったとしても、信仰とは関係ないだろう。
 「それがどうした」
 「それが、どうした? 知っていたのね?」
 「ああ。自分の教祖だものな。だいぶ前から薄々な」
 「だったら尚更だわ。今すぐキリスト者引退を表明して!」
 なまじっかな人ならホセ・メンドーサと戦うどころではないだろうが、矢吹丈ならものともしない。そういえば呉先生は、ちばてつやキャラクターは、実はキリスト者ではないかという説を発表していたっけ。
 そして私が「必殺裸体大全」を読んで聖書理解を深めようとしたことは、怒られそうなので抜群に秘密である。
 柳川リアクションが届いていた。『現代思想で読むフランケンシュタイン』と『失われた福音書』に言及されていた。なんというか、シンクロしてるなあ。とっとと電子化しよう。柳川リアクションが欲しい人はメールしてくれれば差し上げる。


2000年11月18日

 図書館に行こうかと思っていたのだが、髪を刈る。
 そして柳川リアクションを電子化。校訂終了。単にOCRで取り込んだだけでは、誤字が多くて使いものにならない。どうしても手作業で修正する必要があるのだ。とっとと知り合いに送付。
 読書していると、鮎方くんから電話。いま、新宿とのこと。ならばということで、イエローサブマリンにて待つよう指示。せっかくなので阿曽くんに電話。
 「いま、デート中」とのこと。ああ、阿曽よ阿曽よ。お前もか。お前も十年前のアマギン同様、友情より愛情を取るというのか。失望したぞ。ともあれ、夜には別行動の予定だそうなので、頃合いを見計らって居場所を連絡すると伝えておく。
 イエローサブマリンに着くと、当然のことながらメガネの美少女はおらず、ボードゲームの購入を検討する鮎方くんがいた。時間が半端なので、とりあえずみやかわさんに連れていってもらったキリンシティに移動。
 少しばかり道に迷ったが、無事到着。出てくるのに4分かかるビールで乾杯。……4分?
 仕事のことをいろいろと話し、思い出したので阿曽くんに連絡。
 「もうしばらくかかる」とのこと。そうか。そうであるか。まあ、お幸せに。
 阿曽くんの悪口をいったり、宗教について語り合ったりする。以前に聞いたのだが、創価大学では図書館の席が暗黙のうちに決まっており、そこにはマイ座布団などが置いてあるのだそうだ。そして閉館時間まで、みな黙々と勉強を続ける。「池田大作先生のような偉大な方に近づくために」だそうだ。
 勉強しない大学生は、彼らの足の爪の垢を煎じて飲むがよい。いや、マジで。
 昔に読んだので詳細は忘れたのだが、イスラームにもすごい人がいたそうだ。クルアーン(コーラン)は当然暗唱しているとして、ムハンマドの言行を、捏造だろうとされるものも含めて十万以上も覚えていたという。もっとあれば、それも覚えたはずだ、といっていたそうだ。
 これは「○○とムハンマドいえりと○○いえり」という形で、誰によって伝えられたか出自まで含めてひとつとされる。十人以上に伝聞されたものなどというのもある。あるとき、どちらが詳しいか争ったことがあり、相手方は長く難しいものを次々と述べた。しかも、一ヶ所だけ伝聞の順序を入れ替えて述べた。
 彼はすべて「知らず」と答え、そして最後に、「ただしこれなら知る」と、すべて正しい順番にして述べ立てたという。
 中村元先生は仏教辞典を執筆し、原稿用紙一万枚も書き上げたところで、誤って原稿を入れた段ボール箱を廃棄してしまった。中村先生は、そのすべてを書き直したという。
 宗教には、ものすごい力がある。
 郵便遊戯について語る。マスターになるならどこがいいか、という話題になり、私はどこもない、と結論する。何しろ遊演体は、もはや存在しないのだ。他社がよくない理由は、だ。ということで、同人マスターでだらだらやろう。私にいえるのは、可哀想だからマスターがバカやったらプレイヤーに知られる前に止めてやれ、ということぐらいだ。具体名は挙げずにおくが、哀れでならない。
 マスターがマスター名でページを作ることに反対したのには、チェック機関なしで文章を発表することで、プレイヤーに恥ずかしい代物を見せるべきではないという考えもあった。……いや、もうそれはどうでもいいや。
 アマギンのPBeMについて訊ねられたので、その素晴らしさについて延々と述べる。そこから「コスティキャンのゲーム論」についての話になる。このテキストは馬場秀和ライブラリにある。郵便遊戯は小説ではないし、単なる遊び道具でもない。それは一定のルールによって遊び方が決められなければならない。
 坂東いるか(当時。現在は坂東真紅郎)がSネット総集編で述べたように、各自で勝利条件を決める、という遊び方もあっていい。しかしそれならば、ウルティマ・オンラインなどのネットワーク・コンピュータ・ゲームとどう違うのだろう。違わないのならば、ゲームブックがTRPGやコンピュータRPGに駆逐され、復活させようという動きはあるものの、おそらくは決して再び日の目を見ないだろうように、郵便遊戯もまた過去の遺物とされる日が来るのではないだろうか。
 そんなことを、ビールをがぶがぶ飲みながら、アルコールに濁った頭でだらだらしゃべる。ちなみに門倉直人によって提言され、坂東真紅郎が主張し、近ごろでは曲直瀬さんが指摘しているように、郵便遊戯の本質は多人数参加というまさにそのことにあるのではないだろうか。
 アクションを読んでいると、決してマスターの頭だけからでは出ない発想というのが飛び出してくる。それをどこまで受け止め、リアクションするか。アマギンはどうして小説ではなくリアクションを書くかという問いに対して、自分の発想では決して登場しないキャラクターでさえも描けるようになりたいからだ、と答えていた。念のために強調するが、アマギンは一種の天才であり、また小説とリアクションに必要な文才は異なる。マラソン選手になろうとする人が短距離走の練習ばかりすれば、不要な筋肉がつき必要な筋肉は衰えるだろう。
 待ちくたびれたころ、阿曽くん登場。恋人さんはなんぞやの個展を見に行ったそうだ。
 阿曽くんと鮎方くんが出逢うのはこれで五度目だ、という話から始まり、しばし昔話。そして話題はクレギオンになる。
 クレギオン#9について訊ねられたので、「アレイダを代表するルポライターで、ライアーに潜入ルポを敢行し、今はライアー側についた発言をしている」というと、それは間違っているといわれる。まあ、アレイダ人がライアーに味方するというのは、おかしいのかもしれない。だがほれ、私にもいろいろとしがらみがあるのだ。他に判官贔屓とか、負け戦であると分かっているのに必死で頑張っているのが素晴らしいとか、勝利が決まっている側の傲慢さがやってられねえというのもあるのだが。
 別の店に移動。
 いくつか候補が挙がり、つぼ八になりそうになる。
 いやな思い出があるので、そこはいやだと主張。北の家族になる。ドラゴン・オーケストラのディズニーランド集会のあとでそこに入ろうとしたら、客扱いされなかったのだ。今でも腹が立つ。身震いするほど腹が立つ。がおー。
 とっぽい兄ちゃんが注文を取りに来た。阿曽くんと鮎方くんは多少いらついたようだが、私は気にしない。ここではちゃんと客として扱ってくれている。そして、呉智英先生の意見にこうゆうのがある。二流の人間が二流の対応をしたとしても、それはそれで首尾一貫しているのだから咎めるべきではない、と。注文の取り方がマズかろうと、ここはそうゆう店なのだ。
 鮎方くんがクズな話になる。
 「鮎方はクズだなあ」
 「やめろよ石井さん、照れるではないか」
 「いや、本当のことだ」
 定番ギャグのあと、鮎方の名前で表記するという話になる。もはや問題ない、とのこと。なるほどそうか。今までは鮎方名義で表記すると問題が生じるかと思って、氷河戦士とかSCARとかポンガヨンあるいはクズポンなどと記していたのだが、問題ないならば問題ない。どうでもいいが大空魔竜というのは図々しい。
 Webページを作る話になり、鮎方くんも作る予定だそうだ。いろいろとそそのかす。
 「石井のページは、マスターのほとんどが見てると思うぞ」
 「そんなことはない。見てたらもっとゲームはおもしろくなっている。それよか曲直瀬さんのページみやかわさんのページを見るべきだ」
 「そういや石井は、曲直瀬さんやジャンキーさんと違って、誰も育ててねえよな」
 「単に暴れてるだけですな」
 すんません。私は所詮、魔法使いの弟子ですから。自らが呼び出したものの意味も分かっておらんのです。
 他にも多様な話題について語り合ったが、このころには完全に酔いが回っていたので思い出せない。うーい。


2000年11月19日

 ホテルを決めていないという鮎方くんを連れて帰る。
 「このあたり、星が綺麗ですね。もと天文少年だったんですよ」
 小学生で天文学から星座、ギリシア・ローマ神話を経由して『指輪物語』にハマり、今に至るのだそうだ。さすがは小学生でD&Dをプレイしていたという男よ。
 こちらの話もする。小学生でラヴクラフトを読み、ヨギ・シャナ・ボハール師がゴーストライターをした『頭の体操』でコリン・ウィルソン『賢者の石』を知り、これを読む。以後、哲学とゲームにハマる。中学校でゲームブック。高校生でTRPG。大学生でネットゲーム。以後、転がる石のように生きている。
 部屋でだらだらと語り合う。
 蔵書を勝手に漁っては、鮎方くんがいろいろと述べる。
 「これはヴァルハラ・ライジングのスタートマニュアルですな」
 「指輪もありますね。実は十セット以上も持っておりまして」
 「七界の剣のリアクションまで」
 山本弘の学歴コンプレックスについて、どうして誰も指摘しないのかと話す。たぶん、人格批判になるからだろう。だから本当なら私だってこんなことはいいたくないのだが、でも本当はいいたいのだが、彼の根っこに学歴コンプレックスがあることを理解しておかないで付き従うと、トンデモないところに連れて行かれてしまう。
 その最たる発言が、本当に勉強したければ学校など行かずに本を読んでいた方がいい、というものだ。そんなの、嘘っぱちだ。鵜呑みにしたら大変なことになる。
 本を読むだけでも、そりゃ確かにある程度のところまでは到達できるだろう。しかしつまるところは独りよがり、素人が独創的だと思い込んだものなど、とっくの昔に考えられ、検証され、捨てられたものであることがほとんどだ。
 数学を好きだった少年が、中学に行けず、自力で勉強を続けた。そして天才的な閃きにより、ついに中年となって偉大な法則を発見した。
 それは、連立方程式の解法であった。
 Qについて調べていて、どうして私はもっとまじめに大学に行っていなかったのだろうと思う。念のため、私は大学4年間、すべての講義に皆勤していた。大学生で皆勤賞というのは褒められたことではないのだが、180単位以上を取得した。それでもなお、勉強が足りないと本気で思う。もっといい大学で、専門的な訓練を受けておけばよかったと思う。そうすればQについても、もっと早く知っていただろう。Qがどのような意味を──歴史的、社会的、宗教的意味を持つか、より深く理解できただろう。そしてその成果を、他の分野にまで応用できただろう。
 幸いに私は呉智英先生と出会い、今は柳川講師の公開講座2000に通っているのだが、適切な指導者のもので知的訓練を受けることは、独りよがりにならないために必要なことだ。もちろんひとりで読書をするというのも大切だが、それは最低限のことでしかない。
 山本弘には、学歴コンプレックスがある。騙されちゃいかん。
 だいたいだな。読むだけで理解し実践できるならば、どうしてみやかわさんのページ馬場秀和ライブラリの成果が活かされていないのだ。

 目が覚めると昼だった。
 昨夜食べた鉄鍋餃子が不味かったので、美味い店に連れていく。
 「10分間待ってくれ。本当の鉄鍋餃子を食べさせてやる」
 「海原雄山がいうならいいですけど、一介の新聞記者がやっても、親父の猿真似でみっともないだけですよ」
 たっぷりと昼食を採り、鮎方くんを駅に送る。
 「この恩返しはいつかしますから」
 「じゃあ大阪のメガネの美少女に会いたい」
 「それは……ミハイルがレアイベントカードを引くのを期待してください」
 ということだ。ミハイルよ、イエローサブマリンに日参して確率を高めるがよい。
 いったん帰宅し、天使の喫茶店に行ってだらだらと読書。『現代思想で読むフランケンシュタイン』読了。ディスクールとかタブラ・ラサなど、大学生のときにアレルギーが出るほど出逢った単語が頻出するが、なかなかおもしろかった。現代思想は大学生のときにかぶれて、そのため却って近寄らないようにしているのだ。若さゆえの過ちとは認めたくないものだとシャアもいっているではないか。
 沼正三『家畜人ヤプー』(太田出版全3巻版)を読み始める。何度も改訂増補が繰り返されており、今のところの最終版はアウトロー文庫版だ。くそう、あっちの方が安いじゃねえか。柳川講師曰く「家畜人ヤプーですかあ……むむう……そりゃ読んで欲しいとは思いますがあれは奇書だからなあ……ええとですね、小栗虫太郎の『人外魔境』と夢野久作の『ドグラ・マグラ』を読破して両方とも大好きっていう20歳以上の仕事もってる人なら、読んでも大丈夫だと思います。無理して読まなくてもいいですよ」という内容。
 要するに日本人は人間ではなかった、という内容。ならば何かというと、家畜なのだ。大陸では豚を飼う方法として、排泄物を食わせるというものがある。ポルナレフがびっくりしていたあれだ。……まあ、そうゆうことだ。私は百太陽帝国イースの設定資料集として愉しんだが、人に勧めたいとは思わない。
 古本屋に行くと、ゲームブックが数点あったので、買い占める。だからといってヤフーオークションに横流ししたりはしない。欲しがっている人がいたら、送料を含めた適正価格でお譲りする。私はコレクターではない。ただゲームを愛するだけのものだ。どうしてヤフーオークションに出品しないかというと、単に相場が高すぎるという理由による。
 ゲームブックは、作者にとってはそうであってもいいが、金儲けの道具じゃねえんだ。

 あり場なるページを発見。
 どうしたわけだか「野望の王国」が隔離カテゴリでリンクされていた。
 ……いや、それはいいんだが。俺の正体、誤解してんじゃないかなあ。常に手札は公開してるんだが。もちろんゲームの興を削ぐ場合は別だが、手札を常に公開するというのは、呉智英先生の手法なのだ。
 そしてコンテンツをいろいろ見る。
 以前、ご迷惑をかけた方でした。スマン。あれはすべて暁湊マスターが悪いということで、すべての怒りは暁湊マスターにぶつけていただければこれ幸い。私はそれを忠実に注釈しただけということでご理解いただきたい。
 ……じゃ、すまねえよなあ。まったく申し訳ない。お詫びに、幸せになることを影ながら全力で応援させていただきますゆえご勘弁を。


2000年11月20日

 安ワインをラッパ飲みしながらチャットしていると、急に喉が痛くなってきた。うがいをしても治まらない。
 こらあかんと思って、とっとと寝る。
 案の定、目覚めると喉の痛みが倍加していた。風邪のひきはじめだ。職場に連絡して、休暇。とりあえず今日明日、という仕事はないので、それだけが救いだ。

 寝るのに飽きたので、『家畜人ヤプー』上巻を読む。
 そして夕食になる。
 そういえば私は筒井康隆「最高級有機質肥料」を読みながら食事をする、という無意味な荒行をしたことがあったのだっけ。
 テレビドラマで「宗像教授伝奇考」を放送していた。
 うーむ。まあ、こんなもんか。白鳥と鉄の関係が大幅にカットされ、家族ドラマに焦点が当てられている。だから私は不満だが、いちおう原作は消化しているし(忌部の考察の弱さを指摘する部分がないが)、視聴率的にはこの方がいいのだろう。
 でもできることなら原作マンガを読んで欲しいぞ。


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