プレイヤー氏名 石井文弘
キャラクター氏名 古川春陽(ふるかわ・はるひ)
キャラクター番号 102148
年齢 17歳
性別 男
学年 220 高等部2年
物語類型 主 10 幼い後継者
     従 12 導く賢者
特徴 外見   スリム
   性格   華奢
   マイナス 筋力がない
   その他  記憶力が良い
   その他  成績がよい
   その他  仏教一般に親しむ

参加団体 1.政治研究会
     2.法律研究会
     3.言語研究会
     4.腹心の友

口調 一人称 ぼく
   二人称 貴方、〜さん
   語尾  ですます調

時念度 9
行動選択肢 60001 公開講座を聴きにいく
今月読んだ本
 x70-047 遊民の系譜〜ユーラシアの漂泊者たち〜
 p65-053 ワン・ゼロ

日常アクション
 少し不思議な学園生活を堪能する

行動
 公開講座2000への報告の提出について

行動補足
 標記の件について別紙のとおり報告いたしますので、よろしくお取り計らい願います。

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◆21世紀のエンガチョロジー◆

 まず、蒐集した事例の報告から。不完全なデータが多くなってしまったことをお詫び申し上げます。

   ☆   ☆   ☆

1)
性別:女性
生年:22歳
地域:愛知県知多郡
時期:保育園
単語:キンメボタン
指 :そう言いながら自分の制服(幼稚園)のボタンを触れば、キンメの手の形をしなくてもよかったそうです。
備考:(キンメ、キンメバリア報告者より)妹は私の三つ下ですが、使っていたのは保育園のころ…私が小学生のとき、使ってた時期とほぼ一緒のようです。うちの地方では、その時期だけ流行ったのかなあ…

2)
地域:北海道南西部
単語:バリア
備考:北海道は大体、他県移民団が一つに集まって街つくるからその場所によって言葉使いが全く違うんだよねえ。エッタバリヤは聞いて事ありますな。使ってたかまでは記憶にないけど。

3)
地域:北海道登別市
単語:鉄線まいた、鉄線解除

4)
地域:秋田県の沿岸南部
単語:「バーリヤ」で解除するときは「バリヤきったー」と言っていたような……

5)
地域:横浜市在住
性別:男性
年齢:32歳
職業:ネットワークRPG会社経営
単語:年によって「エンガチョ」だったり「エン切った」だったりした。

6)
地域:東北のとある村
性別:男性
時期:十数年前であるようです
単語:縁切れ、願(がん)切れ、〈陣〉を切れ
備考:みっともない失敗をした少年に対して、上記のことばを囃し立てながら逃げ去ります。なお、この村では、左手で人に触れることを禁忌としているそうです。何かが左手を通して染み込むからと考えられているそうです。詳しくは教えてもらえなかったのですが、触られた人はこの世の中からエンガチョにされてしまう、ということでした。もしかするとイスラームの左手禁忌と関連があるのかもしれません。

7)
 「モンティパイソン・アンド・ナウ」のコントの中で、広川太一郎の吹き替えで「エンガチョ」が使用されていました。上流階級のパブに紛れ込んだ中流階級らしき男性が肘で「ちょんちょん」と突っつきながら「やったらしいんだからこのエンガチョが」と発言していました。どうやらいやらしい、助平である、というニュアンスで使用しているようでした。


 次に宿題であった神話論理の例を報告します。

   ☆   ☆   ☆

人間は
1)生きている/死んでいるの、いずれかに属する
1のb)もし死んでいるに属しても、ルールaによって「死んでいるけれども生きているモノ」と見なすことができる
ルールa)吸血鬼は他人の生命を奪って生きることができる
1のc)ルールaによって、「生きていることになった吸血鬼が含んでいたはずの死人らしさ」は他のモノに移転する

※吸血鬼が伝染する、というルールを適用する場合、エンガチョが無限に増殖するのを連想させます。これは生命を奪って生きる不死者全般に適用できると思います。


金銭関係において民法上、
1)債務がある/債務がない、のいずれかに属する
1のb)もし債務者に属しても、ルールaによって「債務者だけれども債務がないもの」と見なすことができる
ルールa)弁済能力がない場合、保証人が債務を弁済する
ルールa2)別人に(交換条件を付して)債務を移転する
1c)ルールaによって「債務がないことになった債務者が含んでいた債務者らしさ」は他の者に移転する

※ルールaは他にも存在しますが、煩雑になりますので省略しました。


生物の個体は、
1)自己/非自己の、いずれかに属する。非自己の侵入には免疫作用による排除がある。
1のb)もし非自己に属しても、ルールaによって「非自己だけど自己になったモノ」と見なすことができる
ルールa)女性は精液を免疫寛容により受容する
1のc)ルールaによって、「自己になったモノがそれまで含んでいたはずの非自己らしさ」は、胎児という形で胎内に保存されることがある

   ☆   ☆   ☆

 物件または状態Aは、
  1)分類E/分類H
 の、いずれかに属する
  1のb)もしEに属しても、ルールaによって
      「EだけどHになったモノ」と
      見なすことができる
  1のc)ルールaによって、「Hになったモノが
      それまで含んでいたはずのEらしさ」
      は、他のモノに移転する

 というのが、前回示された神話論理でした。
 これをこう言い換えることができます。

 物件または状態Jは
  1)変化前K/変化後L
 の、いずれかに属する
  1のb)もしLに変化したとしても、ルールaによって
      「Lに変化したけれどKのままのモノ」と
      見なすことができる
  1のc)ルールaによって「Kであることを保持したモノが
      それまで含んでいたはずのLらしさ」は
      他のモノに移転する

 エンガチョを移すというのは、変化を逆転させることです。そして、エンガチョを切る、またはバリアーを張ることでエンガチョを防ぐことは、変化を食い止めることです。
 さて、とある聡明な女性から、次のような指摘を受けました。引用します。

  ・人は「変化」を恐れる。自分と「違う」ものを嫌がる。
   →都会より田舎で顕著(地域単位で侵略を恐れる)
    自我が確立している人よりしてない人で顕著(個人単位で侵略を恐れる)
   (↑従順な人もそうだが、「人に認められたい・バカにされたくない」
  というのが強い人も、実は自我がない)
  ・だから、「自分(達)と違う存在」は、疎外して区別したい。
   線を引いてしまえば、自分たちの世界が浸食されることはないので、安心。

 個の確固としてない者が変化を恐れるということから、エンガチョ遊びが幼少期に限定されることも説明できます。子供は確固とした自我がない、というと失礼ですが、まだ不安定ですからね。私の観察では13歳、中学一年生くらいで幼い自我が解体されて、大人になっていくようです。もっとも子供とは現代に特有のもので、過去においては子供とは体の小さな大人であった、という指摘もあるのですけれど。
 区別とは当然、差別です。区別と差別は違うというのはことばをもてあそんでいるだけです。聖別もまた、そこに宗教的な要素が加わりますが、差別に他なりません。
 そして差別は、かなりのところまで恣意的に決定されます。それは分類E/分類Hが一見厳密なものであるように見えながら、実は曖昧なものであることからも明らかです。
 たとえば、ぼくの友人が悩んでいたのですが、メイルゲームの参加者をプレイヤーとマスターに分類したとします。マスターであっても他のゲームではプレイヤーとなることは多いですし、またプレイヤーからマスターになる場合もあるのですが、一度マスターをしたということは一種の聖別となります。では、同人マスターは、聖別された存在とするべきでしょうか。
 友人は商業ゲームのマスターの多くからはプレイヤーとして扱われ、この扱いには満足しているのですが(知るを知るとなし知らぬを知らぬとなす。天上に属する知識は知らない方が賢明というものだ、と説明していました)一方でプレイヤーの少なからぬ人からはマスターと考えられ、あるいはいずれ商業マスターになるのだろうと考えられている、と嘆いていました。
 またルールaも、恣意的に決定することができます。幡先生が例示したババ抜きですが、ジョーカー以外の札としてもかまいません。それはジジ抜きと呼ばれる別のゲームになります。そして通常のジジ抜きではジジは一枚ですが、何枚にしてもかまいはしないのです。もっとも、それでゲームが成立するか、おもしろいかとなると、話は別ですけれど。
 何をもって差別とするかは、実に重要な問題です。ぼくの知る限り、この問題を根元的に論じたのは呉智英くらいです。今回は間に合いませんでしたが、次回までに呉智英『危険な思想家』などを読んで勉強しておきます。

 さて、変化という問題について、これまでぼくはもっぱら精神的なことを考えていました。自己同一性(アイデンティティ)は多くの場合、精神的な側面から考察されています。分裂症の妄想で、自分が自分でない感覚、というものがあるそうです。なんとも奇妙な状態だと考えていたのですが、これもまた聡明な女性からの指摘ですっきりしたように思います。引用します。

   女性も、まあ、変化するのは嫌いなのでしょうけど、人生において変化を受
  け入れざるを得ない。セックス、というのは自分とは違う「異物」を体内に入
  れる行為ですし、妊娠は自分の中にエイリアンを育てる行為です。異界・異性
  物、つまり自分以外の何かとの「接触」を境界線として、向こう側を「穢れ」
  と呼ぶならば、女性はまさに「穢れ」なのです。(ご存じのように処女は除く)

 女性が異物を受け入れる存在、というのは、目からウロコでした。
 生物が個体を維持し識別する方法として、免疫機構が存在します。異物を排除するシステムです。エイズはこれを破壊するため人体に重大な障碍をもたらします。輸血ミスで死亡、なんて事故もありますよね。
 ですが女性にはこれについてひとつの例外があります。異物を流入されてもそれに対して拒絶反応を示さず、時期によってはそれを育成するのです。これを免疫寛容というのですが、考えてみれば実に奇妙なことです。
 ぼくがこれを知ったのは山田正紀『デッド・ソルジャーズ・ライヴ』からなのですが、そういえば同じく山田正紀『エイダ』では、エイダが子宮癌になっておりました。生命を育む器官が、個体としての生命を維持する機構を寛容により弱体化させ、またあるときは死を育んでしまうのです。
 『デッド・ソルジャーズ・ライヴ』ではレプタイル(爬虫類)と呼ばれる女性たちが登場しました。レプタイルは免疫寛容を行わず、逆に異物をもたらした側に復讐するのです。その方法はつまびらかではありませんが、男性は免疫機構を破壊され、衰弱して死んでしまいます。エイズに似た恐るべき病ですが、より残酷です。自分自身を異物と認識し、攻撃してしまうというのですから。攻撃した結果、破壊された細胞から流出したDNAを異物と認識し、免疫機構はさらに攻撃を行います。
 この病気に思い至ったとき、ようやく分裂症などの妄想が、実はこれに似ているのではないかと気づきました。精神と肉体とどちらが主でどちらが従であるか、議論はつきませんが、かなりの程度までふたつは似ているようです。そして依存しあっているようです。
 そういえば中学一年生くらいでいったん自我が解体されると書きましたが、これはちょうど第一次性徴期にあたります。肉体の変容が精神に影響を与えるのでしょう。

 女性という存在については、他にもおもしろい指摘を受けています。
 古代の巫女は神聖結婚により、男性を神の世界に誘うものとされていました。これは男性側から見て性行為が「あちら側の世界との接触点」であると考えられるからではないか、というのです。女性は神の国への門だというわけです。たしかに女性の胎からは子供が産まれますから、あちら側の世界とつながっていると考えても不思議ではありません。
 そういえば性的絶頂のことばとして「いく」というのがありますが、これは「行く」ではなく「逝く」ではないか、と栗本慎一郎が指摘していました。生命の高まりは死の世界への接近を意味するのかも知れません。山田正紀「闇の太守」シリーズには、生命を利用した魔術を使う一派と戦う御贄衆というのが登場し、対極的に死を利用した魔術を使用していました。そして双方は、実に近いものと思わせるように書かれていました。
 なお、『家畜人ヤプー』(太田出版全三巻版)によれば、イギリス女性はgoではなくcomeと叫ぶ、とされています。どちらも移動を意味することばですが、この場合ですとあちらの世界がやってくる、という解釈になるのかもしれません。
 多くの民族、宗教にとって、女性とは穢れた存在であると考えられています。仏教では女性は悟りを得られないものとされています。そのため法華経提婆達多品では、功徳優れた竜王の娘は女であるため悟りを得られぬとして、変成男子の法により男性となって悟りを得ています。
 キリスト教でも、イエスに塗油することでキリストとし(キリスト、クリストスの原義は「塗油された者」です)その磔刑に備え、またイエスの復活を見届けたマグダラのマリアは、娼婦であったとされています。ぼくとしては、マグダラのマリアが娼婦であったというのは不自然だと思いますので、女性嫌いであったパウロたちの捏造か、あるいは後世の誤解ではないかと考えています。彼女たちは「自分の持ち物でイエスたちの奉仕した」とありますが、娼婦がそれほどの財産を持っていたとは考えにくいです。江戸時代の夜鷹など数人の客を取らないと蕎麦も食べられないほどだったのですから。古代にあってその収入は似たようなものでしょう。
 話が逸れました。
 穢れたと考えられる女性ですが、生命が穢れ=あちらの世界との境界線、接触からもたらされる、という発想は記紀にも見えるのではないかという指摘を受けました。イザナミは神を産む過程で死にます。黄泉に逝きます。黄泉戸喫したイザナミから逃げおおせたイザナギは、禊ぎを行い、結果として三貴子が生まれます。穢れから生まれた神で、もちろんそれまでに穢れは払われているのですが、奇妙な感じがします。もっとも、これもまたエンガチョがいつまでもこびりついて残っているように感じてしまうようなものかもしれませんけれど。
 穢れ=悪ではなく、穢れ=異世界への接触、という程度に考えると、異世界と接触して子供が産まれただけですから、おかしくはありません。

 さて。
 宗像伝奇教授ですが、11月20日に帰国されたそうです。ニュース番組でみかけました。
 なんでも時効直前だった冤罪事件と、それに付随する二つの殺人事件を解明したのだそうです。
 ただ事件の詳細にはかなりの疑問点が残ります。冤罪事件であると確信した宗像教授の友人は、真相を確かめるため被疑者の娘と接触し、誤解から殺されてしまうのですが、宗像教授が月に一度食事をともにするほどの人が、そんな誤解を招くような真似をするものでしょうか。
 七星剣を凶器として使用するという部分もおかしく、柄のない古刀で人を殺傷できるものか、疑問に思いました。
 もしかしたら、真相は隠蔽されたまま、一部が報道されただけなのかもしれません。真相がどのようなものであるか、ぼくには想像も付きませんが……



◆古代中央アジア遊牧帝国の謎◆

 細先生の仰有っていた東方史料ですが、もしかしたら母の実家にあるかもしれません。正月に遊びに行ったら調べてみますので、何か成果がありましたらご連絡いたします。
 こうゆうのって、素人が勝手にいじると、破損してしまったりして取り返しがつかないことになる場合があるんですよね。もし手に負えないようでしたら、そのときには御協力おねがいします。
 母の実家は保志遠村といいまして、戦前は星落村と表記したそうです。何かトラブルがあったらしく、村名は改正され、また民俗学的な研究もなされていたようなのですが、記録はすべて破棄されています。原史料は難を免れたそうですが……
 ぼくも詳しいことは聴いていないのですが、どうやら天皇家にまつわる話らしいのです。保志遠村はいわゆる隠れ里で、その成立も政治的なものが絡んでいるのではないかと思います。もちろん、ぼくのカンに過ぎないのですけれど。
 なお、母の話では、記録は破棄されたけれど、間接的なものは学会に影響を及ぼしたのだそうです。美濃部達吉先生の天皇機関説だそうです。
 星の宮の住職様が、お若いようですのにこういった話に詳しいです。お会いしたらいろいろと伺いたいと思います。正月が待ち遠しいです。

 さてクシュカ帝国ですが、仏教を奉じていたといわれるにも関わらず、これまでの神話には仏教的な要素があまり感じられません。
 クシュカ帝国は紀元前6世紀から紀元4世紀までに栄えたとされていましたよね。釈迦は紀元前5世紀ごろの人物とされていますから、建国のころには仏教は存在しませんでした。少なくとも釈迦の教えという形では存在しませんでした。
 どうして限定し直したかというと、ぼくは釈迦以前の仏教が存在した可能性について、まるで無知だからです。友人に訊ねたのですが、孔子以前に儒教は存在したということは間違いないのだが、釈迦以前に仏教が存在したかとなると断言できない、とのことでした。ただぼくが常々疑問に思っているのは、釈迦の教えから直接に無数の仏を導くことはできないのではないか、ということです。
 ぼくは確かに仏教徒ですが、釈迦について知っているのは手塚治虫「ブッダ」を読んだ知識くらいです。そしてそこからは、どうしても不可思議な仏教美術の世界は窺えないのです。何かよい入門書をご存知ないでしょうか。

 クシュカ帝国があったとされるアラル海近くには(少なくとも地図上の近くには)バイコヌール宇宙基地があります。これ、前回の講義と、何か関係があるのでしょうか。
 バイコヌール宇宙基地から南下したアフガニスタン共和国のバーミヤンには、顔のない仏像が二体あるということです。断崖に刻まれた仏像は、真鍮で全体を覆われた東大仏が38メートル、仰臥し入涅槃を顕わした西大仏が53メートルにも達しているそうです。ただ、今のところこれを誰が彫ったのか、そしてどうして顔が削り取られているのかということについては、定説が存在しません。
 もしかしたらこれはクシュカ帝国の手によるものではないでしょうか。
 クシュカ帝国の仏像は顔を削り落とす習慣がなかったか、ご教示ください。



◆架空言語入門◆

・右        syaire
・左        syuire
・〜へ       mito
・星        karan
・昼        mesare
・自由な      etana
・船        buni
・家        dappo
・息子       onusa
・岩        setu
・槍        kenre

 この言語ではew-またはe-w-という音節に、天上の属性を持つというニュアンスがあるのではないかと思います。少なくともぼくはそのつもりで単語を創っていました。
 eluwaは天上の知識を示します。ewi、ewa(ewate)は天上に属する存在です。enawaもまた天上の存在に付随する特性ですし、ewuroは天上の恵みがあるからです。逆に、天上に属すると思われながらew-、e-w-音節と無関係であるということから、mer/meraやsare(sarate)は認識の上では天上の存在ではない、ということが窺えます。物理的に高いところにあるということと、天とは、別の次元に属するのでしょう。
 右と左は、yareとyureを変形させてみました。日本の古語でも馬手、弓手という形で左右を規定しています。実は前回、それを念頭に造語してみたのですが、ボツになっていました。ですがお箸を持つ方、茶碗を持つ方、という言い方が存在する以上、この方法で左右を規定するのは有効であるはずです。

 3)創っている当の架空言語の、他の単語を真似る
 4)意味を転用したり、拡大したりする

 というのは、すでに前回からやっていました。ただこれは、ある程度サンプルがないとやりにくいですよね。ぼくはこの方法しか思いつきませんでしたので、前々回は未提出でした。

 日本語が拡大クレオールだとすると、少なからぬ語彙を福沢諭吉が考案したということになりますよね。なんとも羨ましいことですが、残念ながらぼくにはあそこまで卓抜した造語力はありません。何らかの方法で過去に行くことができたとしても、福沢諭吉に成り代わることはできないでしょう。
 ……そういえばこのところ、過去に行っただのなんだのという話を耳にしますが、なんなのでしょうね。しばしば繰り返されていますので、何かの流行語ではないかと思うのですが。
 最近は入力語彙としての外国語、特に英語を、そのままカタカナの形で導入してしまっています。そうしないと追いつかないということもあるでしょうし、時代が日進月歩であるため造語が熟成し定着するまで待てないという事情もあるのでしょうが、それにしても美観という点からは残念なことになっています。
 そういえばフランスでは、頑ななまでに母語にこだわっています。命名も五百ほどの中から選ばなければならないと聞いた覚えがあります。なんでも、フランス革命時に命名の自由を許したら、素っ頓狂な名前が続出したという反省に由来するそうですが。もしかしたらナポレオン民法典を、数年前まで改正せずに使用していた、という国民性もこのこだわりを産む素地となっているのかもしれませんね。
 まるで関係ありませんが、「最後の授業」では、母語でもないフランス語を講義していましたよね。詳しいことは忘れてしまったのですが、これもフランス語に固執させる原因となっているのでしょうか。

 『ドグラ・マグラ』は「九相詩絵巻」が背景にありましたよね。小野小町が死に、腐り、ミイラとなり、ついに白骨死体となるまでを連作で描いた作品です。これ、先日見てきました。といってもレプリカなんですが。
 これを読んでもあまりおかしなことにならなかったといったら、友人が『家畜人ヤプー』(太田出版全三巻版)を貸してくれました。なんでも大学時代にスコラ社版を読んでおり、資料として購入しておいたのだそうです。
 セッチンや赤クリーム馴致のあたりは気持ち悪かったですが、筒井康隆「最高級有機質肥料」の衝撃ほどではないと自分に言い聞かせて、なんとか読み終えました。
 ただ遡時訛伝(リトロ・コラプション)というのがときどき出てきたのですが、これが分かりにくかったです。そこで『家畜人ヤプー』(スコラ社版)を三度以上は読んだという友人に訊ねたのですが、頻出概念なので作中で1ページほども取って説明しているはずだ、とのことでした。
 ですが遡時訛伝が登場するのは物語後半に集中しており、また回数を数えてもそう多いとは思えませんでした。友人の記憶違いではないかと思うのですが、スコラ社版と太田出版全三巻版とでは、加筆訂正がされているため内容が多少違うようです。最近ではアウトロー文庫版が出ており、これも加筆修正がされているとのことですから、こちらとも内容が違うのでしょう。
 遡時訛伝とはおもしろい概念ですが、無理があります。もしかしたらこれを削ってしまおうとして、削りきれなかったものが後半に残っていた、ということではないでしょうか。それとも事実は逆で、おもしろい概念を思いついたので使用し始めたのが全体の半ばを過ぎたあたりで、加筆訂正によって前半にこの概念を埋め込んでいった、ということかもしれません。
 両方を読み比べてみれば判明するのでしょうが、スコラ社版が入手できず、また時間もなかったため、棚上げにしてしまいました。



■その他

 ちとプレイヤーからひとこと。
 私はメイルゲームにとって非常に大きな害悪として、遅刻を挙げています。遅刻は本来ならばあってはならないものです。もちろん、なくすことはできないのですが、ないように努力しなければならないものです。
 そのためにプレイヤーができることは、アクションを〆切までに送ることだけです。この前提を崩すような発言は、控えていただけないでしょうか。お願いします。特に柳川さんはエルスウェアの社長であり、影響力も大きいのです。マスターに厳しく対処するためにも、まずプレイヤーに厳しくのぞんでください。
 あとかわいそうなので、マスターが愚かなことをやったら、それがプレイヤーの目に触れる前に止めてやってください。あのよろしってペンネームはあまりにかわいそうです。もしかしたら私に理解できない冗談なのではないかと散々考えたのですが、どうしてもこれが冗談であるとは思えません。
 少し言い過ぎかもしれませんが、どうかよろしくお願いします。


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