
非商業PBM、いわゆる草の根PBMは昔から無数に存在し、時間的にも距離的にも一堂に会しがたい人々に愉しませてきました。私もいくつかのサークルに所属し、素晴らしい人々と出会うことができました。
遊演体のネット88は、日本に商業PBMという存在を示しました。今や商業PBMの会社がいくつあり、どれだけの商業PBMがあるのかは数えがたいほどです。……そんなに儲かる業種とも思えないんですけどね。
私は残念ながらネット88に参加していません。蓬莱学園の冒険にも不参加でした。おそらくこのふたつのゲームは伝説に残る傑作でしょう。友人が参加して、どこまでものめり込んでいく様を見ていると、羨ましくなった記憶があります。
また、雑誌などで遊演体創始者たちの理想を読んでいると、もしこんなことが実現したならばどうなってしまうのだろう、と胸がときめいたものです。残念ながら当時の私には、その理想の意味を理解するだけの知力も、それが実現不可能なものだと知るだけの冷静さもなかったのですけれど。
そう、理想は実現しませんでした。理想を受け継ぐ者は現れなかったのです。今あるゲームの大半は、形式のみを模倣したものです。
それがいけないことだとは申しません。もしかしたら私の期待が過剰であっただけかも知れません。ですがそれでは少し、寂しい。理想を語る者がいてもいいのではないでしょうか。語り継いでいく者がいてもいいのではないでしょうか。実現不可能であったとしても理想の美しさは人を感動させるものです。もしも私が最後の者だとしたら、語らなければなりません。
商業PBMの理想。それはプレイヤーもマスターも存在しないゲームです。
奇妙なものに聞こえるかも知れません。ですが私には、これこそ理想のゲームだと思えるのです。マスターとプレイヤーという絶対的な差異を消滅させてしまうのです。あるときはプレイヤーとして愉しみ、あるときは他のプレイヤーにとってのマスターとなって愉しませる。
PBM会社のマスターをオフィシャルマスターと呼ぶならば、一部のプレイヤーはプライベートマスターとなります。彼らはオフィシャル・リアクションを書くことはありませんし、その権限もありません。しかし彼らは間違いなくマスターであるのです。
プライベートマスターとなるには、小説形式のプライベートリアクションを書く必要はありません。極端な話、ゲームについての馬鹿話をするだけでもよいのです。ただそれだけのことで、プレイヤーはゲームに能動的に参加していることになります。キャラクターはゲーム世界で生きたことになります。
これだけのことならば、すでに実現しているといえます。ただしこれがオフィシャルな世界に反映されているかとなると、疑問といわざるを得ません。オフィシャルなリアクションですら相互の干渉は不十分なものです。況やプライベート・リアクションたるやいかがなものでしょうか。オフィシャル・リアクションからプライベート・リアクションへの一方通行ではないでしょうか。逆行があったとしても、それは例外にすぎません。反映するための制度が整備されていないのです。
その意味で「勇者110番」には期待していました。プライベート・リアクションをオフィシャルに反映する道を用意していたからです。しかし……プライベートマスターの人数を制限したというところで、もはや精神は絶えていました。失望し、私は参加を取りやめました。
ですが「星空までは何マイル?」は、こんな私を燃え上がらせるものをもっていました。散りばめられたSFマインドあふれる設定。E-MAILプレイという画期的なシステム。そして何よりも「遊ぶときくらい、真剣になってみませんか」という熱い宣言。
さすがは星空めておです。「那由他の果てに」で競馬リアクションを書いていたころから、彼のセンスには感服させられていました。〆切以外は信用できる人物です。もう一度、彼に賭けてみたいと思いました。そのためにホームページまで開設したのです。遊ぶときはいつだって本気です。夢を現実と化し、現世を夢とするため、全力を尽くしたいと思います。
サークル「ドラゴン・オーケストラ」(工事中)